Funのブログ 日常・読書・映画

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生きたいんです。ただ、穏やかに。

高校3年、長期オナ禁がしたい!!

Amebaでブログを始めよう!
1年以上もブログを更新していませんでした。

最後にブログを書いた日から1年間、僕はうつに苦しめられ続けました。何度も死のうとしました。ロープも脚立も用意して、首に縄をかけるところまでいきました。カッターナイフで腕を切り続けました。酒に溺れ続けました。苦しくて仕方がなかった。




でも生きた。



僕はゼミに行けなかった次の週、酒を飲んでゼミに出た。そこでは就活の話になって、僕だけが何の活動もしていないことを報告した。先生は他のゼミ生を部屋から出して僕と二人きりで話を聞いてくれた。僕は耐えきれなくなってそこで泣いた。自分の状況を先生に伝えると先生は就活なんて考えなくていいと言ってくれた。大学の心理カウンセラーの人とも話をつけてくれて、僕の状況を良くするために行動してくれた。

大学4年になってからは、取得単位は既に足りていて、出席している講義自体がほとんどなかったから僕はアパートに引きこもっていた。それが僕の心に負担をかけ始めていたのだと思う。

この頃から自殺願望があって、アパートで1人でいることが危険だとの判断で、僕は実家に帰ることになった。大学は卒論だけできれば卒業できるので実家で農業をしていた方がいいんじゃないか、ということで、僕は大学生でありながら、農業をしていた。家族は、父と義母だけが、僕が大変な状況であることを知っていて、祖父母には伝えなかった。祖父母伝えなかったのは心配をかけさせたくなかったのと、自分から伝える勇気もなかったこと。父や義母も伝えなかったことで結果的に伝えなかった。

実家に帰ってきて、苦しさは続いていたけれど、就活から距離を置くことができたことで、少しづつ心身が回復して、実家の農業を手伝うようになった。5月〜9月くらいまではほぼ毎日農業を手伝って、体を動かしていたため、精神が安定していたと思う。この間、月に1度か2度は大学へ行き、担当の先生のところで卒論の話をしたり、心理カウンセラーの人と実家での生活や心の状況などについて話をしていた。

10月ほどから実家の農業の作業に余裕ができて、僕のやることがあまりなくなった。そろそろ卒論に本格的に取り組むということで、農作業を休みがちになった。家から出ない日が何日も続くうちに卒論に取り組む意欲がどんどん失われていって、そのために自分はダメな奴だと悲観するようになった。卒論に取り掛からなければと思うばかりで、全く行動できない。僕の弱さとそれを隠そうとする気持ちから1人で悩み続けていたら、どんどん落ち込んでいった。

月に1度か2度、先生とカウンセラーの方のところへ行ってそこでこの落ち込みを伝えた。2人とも僕をサポートしてくれたけれど、肝心の僕が立ち直れずに時間だけが過ぎ去っていった。

家族には何も伝えていなくて、僕はご飯の時だけ台所でご飯を食べた。ご飯とお風呂のとき以外はずっと部屋に引きこもっていた。ここで留意しておく点として、僕の家庭は祖父母の食卓と、父と義母の食卓で別になっていることがある。僕は祖父母と食事を一緒にする生活をしていた。(今現在もその食事スタイル)

祖父母には僕が心を病んで実家に帰ってきたことを伝えていなかったし、父と義母とは話もしないし顔も合わせない生活が続いた。僕は食事中スマホで動画を見ていて祖父母とも話をコミュニケーションを取らなかった。

10月から4月まで僕は、食事とお風呂以外ずっと部屋に引きこもっていた。誰とも話さない日が何日も続いた。何の意欲も湧かず、布団に入ったままテレビを流し続けたり、youtubeを流したりして過ごした。この間は自分の存在が許せなくなってまた死にたくなっていた。やらなくてはならない卒論があるけれど、それには向かえない。でも遊ぶことや気分転換をすることに罪悪感があって何も楽しめない。結局何もできないからネガティブな考えだけを頭の中をぐるぐると考え続けていた。

2月に父が僕の状態を先生から聞いて、僕を地元の心療クリニックに連れていってくれた。そこでうつと診断されて、薬を飲み始めた。でもなかなか症状が良くならなくて、クリニックにも行きたくなくなってまた引きこもった。

死のうと考えることが何度もあった。けれどその行動すら起こせないほど行動力がなくなっていた。食事すらしたくなくなって、水も食べ物も拒絶したりした。流石にこの状態では祖父母も僕の異常に気がついたようだった。でも、家族全員、僕に対してどう対応していいか分からないみたいだった。

そんな状況だったにもかかわらず、僕は大学を卒業できた。先生やカウンセラーの方にたくさん迷惑をかけた。

卒業しても、僕はずっと苦しんでいた。

けれど、無理やりに農作業を再開してから何とか今、苦しさから抜け出せた。


1年ちょっとの僕の生活を書いたけれど、いろいろ書けていないことがまだまだ沢山あります。
ですが、今回はここまで書いて疲れたので、またそのうち、伝えたいことを書いていこうと思います。