通っているリハビリクリニックに、京都の佛教大学の学生さんが実習に来ていた。彼女と会話しながら、あらためて「リハビリ」は「自力本願」か「他力本願」か、について考えたので、今日はそれについて書いておこうと思う。仏教においては、修行して、自らの力で悟りを開き、仏になることを「自力本願」、自らの無知や非力を自覚して大きな仏様の力にすがって成仏しようとすることを「他力本願」と言うらしい。仏教に詳しい方、間違ってたらスミマセン。リハビリというのは辛く感じることもあり、それに自ら向き合って日々精進していく必要があり、その姿は「自力本願」を目指して修行する仏徒のようかもしれない。しかしそれでも医学的に麻痺してしまった部位についてはリハビリしたからといって回復するというものでもない。それを自覚して医師や療法士さんにすがって回復を目指す、という意味では「他力本願」と言えるかもしれない。一般的に使う用語としては「他力本願」というのは、自分でやらずに「人まかせ」というような無責任な人や心持ちを表すようにも使われるが、そこには「自分が無力であることを自覚すること、受け入れること」が前提にあるらしい。自分の障害を受け入れずに無理なことや危険なことをやってしまっては自滅してしまう。それを自覚して受け入れ、無力(障害者)であることを受け入れて専門家である医師や療法士さんにすがることも大切だ。「自分は大丈夫だから」と言って危険な人混みに突っ込んで行ったり渡れない道を横断しようとしては、家族や周囲の人に迷惑をかけてしまい、ひいては自分の身を滅ぼすことにもつながってしまうかもしれない。そう思うと

・病識を持つこと

と、

・医師や療法士さん、家族の言うことを聞くこと


の大切さを改めて実感する。

明日、療法士さんに会ったら拝んでおこう。

否、ふざけるのが一番いけない。感謝の念をしっかりと。