昨日は奈良県飛鳥の「甘樫丘」に行った。

人生三度目だ。

「甘樫丘」は、曽我氏の館があった?と言われる場所で、展望台(頂上)からは、大和三山が遠く眺められる。秋の夕暮れには、生駒山地の山並みに沈む夕日が麓の池に反射して綺麗に見える瞬間がある。脳卒中で倒れて以来、ずっと行きたいと思っていたし、チャンスもあったのだが実現せず、行きたい気持ちは募るばかりだった。それを見かねて奥さんが、クルマを出してくれた。自分としては梅雨入りする前の土日にでも、近鉄電車とバスを乗り継いで行こうかと思っていた矢先、「渡りに船」とばかりにありがたく乗っかった。タイミングよく、奥さんのお母さんも一緒に行けることになった。昔ここに来た時には、なかった大きな門のようなものができていて、

麓に駐車場(有料)も整備されていた。


甘樫丘は、

南北に二つの頂(展望台になっている)がある

私が好きなのは北側(上の地図で下側)の展望台だ。まずはそこを目指すことにした。




以前は土の道だったような記憶だったが、今は綺麗に舗装されていて、歩くのにはむしろ適していた。木立の間を抜けて進む。ちょっとだけ、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城への道を想い出す。甘樫丘はそれほど高い丘ではないので、気持ちにも余裕が出る。ふと、前に来た時のことを思い出した。ドイツの現地法人から研修に来ていた女性社員を連れて来た。海外の人は日本の歴史や文化に関心がある、ということもあって、自分なりに色々勉強して、まずは飛鳥からスタートし、聖徳太子の話、法隆寺、と巡って最後には東大寺の大仏さん、を観せよう、というプランだった。彼女は今もあの時のことを憶えているだろうか。拙い英語で懸命に説明をした日本人の同僚のことを。


目的の北側の頂上に到着。右手を見ると


三輪山や飛鳥浄御原宮跡の方が望める。

以前『ブラタモリ』でやっていたが、

645年、この辺りで起こった「乙巳の変」をきっかけとする「大化の改新」が、日本の律令国家や政治の礎となった、と考えると、いつもなんとも言えない気分になる。奈良には「きっと当時の人も同じような景色を見ていたのだろうな」と感じられる瞬間や場所がある。新元号「令和」の和訳を、「Beautiful Harmony」とし、「令」という文字を用いたのも、

この「律令政治」とのつながりを

感じざるを得ない。



畝傍山などの大和三山が見渡せるのも、北側の展望台が好きな理由だ。遠くの生駒山地の向こうは大阪、太陽はあの山の向こうへ沈む。昔この場所で偶然居合わせたボランティアガイドの人が、「あの山の向こうは「死者の土地」のように当時の奈良の人は考えていた」と説明されていたのを、ここに来るといつも思い出す。自然が、太陽が、空が、生き物がもっと身近にあり、八百万の神が宿っていると信じられていた時代、日本に入って来た「仏教」をいかにうまく取り入れて行ったのか、に思いを馳せざるを得ない。

また来よう。必ず。この脚でも杖を突いてしっかりと上まで登れた。