今は2016年に右脳の脳内出血で倒れて以来、左半身麻痺の私だが、倒れる前は映像制作の仕事をしていた。
前に会社のイベントに随行して取材し制作した映像について、社内で取材を受け、それが記事になった。
〜パナソニックソウゾウノート〜

映像は“想い”を運ぶタイムマシン|TOUCH~これからの10年~|パナソニック_ソウゾウノート
東日本大震災から11年目を迎える2022年。ソウゾウノートでは「TOUCH ~これからの10年~」というテーマで、人と人をつなげ心にふれるコミュニケーションを届ける連載を実施しています。  今回お話をおうかがいするのは、パナソニックが企画した復興支援プログラム「きっと わらえる 2021」で復興ドキュメンタリーを撮影された、当時のブランド・コミュニケーション部門でプロデューサーを務めていた西井保博さんと、パナソニック映像株式会社でプロダクションマネージャーを担当する稲井くるみさん。現場を指揮するプロデューサーと、編集や演出を行うディレクター2人それぞれの立場から、映像の力で
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岩手県大船渡市の大船渡北小学校で行った「きっとわらえる2021」という、小学生の子どもたちが「10年後の未来へ」というテーマで自分たちで映像を作る、というイベントで、上の記事の中にも埋め込まれている映像のことで、現在YouTube上で観ることができる。
この時は、私もプロデューサーという立場で現地に行き、自分でカメラも回した。
映像の中にも出て来るが、途中、偶然校舎の横ですれ違った女の子が「じゃんけんで負けたから監督役をやってます」と答えてくれて(その時の私の声も映像には入っている)、とても可愛い女の子だったので気にして見ていると、どんどん映像作りが楽しくなって行く姿が見え、それを映像の「軸」にしよう、と思った。

この映像のディレクターさんは、当時テレビ番組などで「ドキュメンタリー」を制作されていた方で、現場でとても勉強になった。

当時の自分のプロデューサーとしての「こだわり」は、せっかく子どもたちが「今伝えたいこと」というテーマで映像を作っているのだから、その映像を観る人の姿や声も映像の中に入れたい、ということだった。そこでその子どもたちの映像を上映する場がないか、イベントの企画部門の人に、ショウルームと横浜のとある場所で上映会がある、ということを聞き、急きょそこにも撮影に入らせてもらうことにした。映像の冒頭と後半に入っているのはその上映会での観た人の声だ。
コミュニケーションというのは、「伝える人」がいて、「受け取る人」がいて、「伝えたいテーマ」があって、それが受け渡されてはじめて成立する。「東北の子どもたちがこんなふうに映像を作りました」だけでは終わらせたくなかった。
だから、上映会の様子を入れた。そこでインタビューに答えてくれた子どもさんや年輩の男性は、とても素敵なコメントをしてくれた。まさしく東北の子どもたちが「今伝えたいこと」が伝わった証だった。
あの時の大船渡の子どもたちはどうしているだろうか。一人くらいは地元のテレビ局やケーブルテレビ局にでも入って、映像を作る仕事をしていてくれないかな?
久しぶりに映像を観て思った。
あの頃は今は麻痺してしまった左半身も自在に動き、走り回って撮影も取材もできた。事実、私が撮った映像も素材として使われている。
子どもたちが10年後にあてて作った映像のドキュメンタリーで、まさか10年前の自分に会うとは思わなかった。まさに
「映像はタイムマシン」である。
障害者になってしまってなかなか気軽には現地に行けないが、いつかまた、必ず訪ねてみたいと思う。子どもたちが朝元気に歩いて登って来た、大船渡北小学校の前の急な坂道を、この杖を突いた身体で登れるだろうか。あの日あの場所から見た海は、当時のままだろうか。

また、「リハビリ終わったら行きたい場所リスト」に一ヶ所追加しておかねば。