小学生の頃、父の仕事の関係で何度も転校した。

蛍池(大阪府)ー刀根山小学校
→福知山(京都府)ー淳明小学校
→枚方(大阪府)ー高陵小学校
→姫路(兵庫県)ー山陽中学校(進学から)
と、その回数は3回に及び、毎回転校先で繰り返す「儀式(転入クラスでの自己紹介)」にも徐々に慣れ、その後の友だち作りも子どもなりのコミュニケーション能力をフルに発揮していた。

余談だが、大体転校初日というのは1時間目に職員室に行く。たいてい母親が付き添ってくれ、担任の先生へのちょっとした挨拶や面談を行う。
そして2時間目にいよいよ転入クラスへと連れて行かれる(乗り込む)。
クラスには朝のうちに「今日転校生が来る」ということは伝わっているのだろう。廊下から教室に入る頃には教室中が「どんなヤツが来るのだろう?」という興味津々の空気で満たされている。担任の先生に連れられて教室に入る。クラス全員から「好奇の視線」が注がれる。そこから先の段取りは担任の先生によって異なるが、明石家さんまのようにうまくやり取りして魅力を引き出してくれる先生はまずおらず、いきなり「さあ、自己紹介を」と振られるのが常だ。「長所短所」や「得意科目」など入社面接の自己PR」のようなマニュアルは持ち合わせていないので、たいてい名前を黒板にチョークで書いて、どこから来たか、どこに住んでいるか、などの他愛のない話をする。
その後MCの先生によっては「質問タイム」を設けることもある。たいていお調子者でクラスの人気者っぽい子が「好きな食べ物は?」「好きな漫画は?」などの質問をする。こちらはまだその子のキャラクターやクラスの雰囲気もつかめていないから、うまく答えられないし、ウケるなんてことは到底ムリだ。
そして本当の勝負はここから、2時間目が終わった後の小休憩や給食、掃除、20分休み、など子どもたちだけの時間がやって来る。コチラは一人でも良い気の合いそうな友だちを探すが、クラスメイトは皆、やって来た異邦人に探り探りコンタクトを試みる。そのうち、帰る方向が同じ友だちが判明し、一緒に帰る約束をする。その後はその子が頼みになって徐々に友だちの輪が広がっていく、というのが常だった。当時は「誕生日会」というのが結構行われていて、誰かの誕生日にはその子の家に友だちを招いてプレゼントを持って集まる、ということもあった。団地に住んでいた時は下校後、団地の中のグラウンドに集まって野球をして遊んだ。そんな中で徐々にクラスに溶け込んで行く。
割と友だちを作るのは早かったように思う。苦労した記憶もあまりない。
今思えば、あの時の経験がその後の人生においても、強みになっているような気がする。「人見知り」はあまりしない方になった。新しい組織(やプロジェクト)の一員になる時、新しい方々やスタッフさんたちと一緒に仕事を始める時、新しい国の人とであう時、障害者となって病院や新しい立場の人たちのコミュニティに入って行く時、相手一人ひとりの個性とそのコミュニティの持つ空気感を素早く観察し、それに合わせて自分を出して行く。

思えば常に転校を続けるような人生を送っているような気もする。

そんな人生を歩む礎を「転校生活」で作ってくれた両親に感謝したいと思う。
あちこちに転校することは、あちこちに友だちを作ることでもありました。
貴重な経験と時間をありがとうございました。