TOKYO2020(オリンピック東京大会)の開会式が無事行われた。

私が脳内出血で倒れたのが2016年、RIO2016(リオデジャネイロ大会)の年だったから、あれからもう4年が経ったことになる(正確には今日で5年と2ヶ月25日になる)。

当時はありがたいことに、間接的ではあるが、オリンピックに関わる仕事をさせていただいていた。最初に深く関わったのは、北京大会、その後バンクーバー、ロンドン、と関わり、リオ大会が始まる直前に倒れた。
それもあってか、オリンピックを観ると脳卒中やその後の障害者生活を思う。
倒れて救急搬送された病院でのICUを出てリハビリ病院に転院し、それなりに体調を取り戻しかけた頃、当時の上司がお見舞いに来てくださったことがあった。その時、「東京大会の時には復活していたいです」と言うと、上司は、「それいいね、ワクワクするね」と言ってくださった。
自分もそれを聞いて少し未来に希望を持つことができた。前を向けた。
しかし結果的に今日、自分は大会の現場ではなく、自宅でテレビ中継を観ている。
今日の開会式で前半描かれていた、アスリートたちのコロナ禍でゴールが見えない、闘いの場が与えられないかもしれない、という今大会までの葛藤やもがきと、これまでの自分が重なって見えた。
自分が進化したことと言えば、
今年4月末に2.5kgだった(もう死ぬまで動かない、とお医者さんに言われていた)麻痺側の左手の握力が1ヶ月で4.5kgになったぐらいのことだ。
それでもきっとこれから死ぬまで、オリンピックがある度に自分の障害のことを思うだろう。NHKはじめ各放送局がスポーツの世界大会ごとに使う「テーマソング」にも励まされて来た。

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♪思い出してくじけそうなら
♪いつだって物語の主人公が立ち上がるたびに物語は続くんだ
(サザンカ/SEKAI NO OWARI)

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♪僕らはいつも試されている
♪立ち塞がる大きな壁に
♪だけどどうか一つだけ
♪信じて欲しいんだ
♪それは僕らにしか
♪越えられない壁だと
(翔/ゆず)

そして、そんな私のちっぽけな闘いとは別のところで時は流れ、
4年ごとの「オリンピアード」が巡り、
ついにオリンピックが東京に、日本にやって来た。
今大会はコロナ禍にあって、開催の是非についてずいぶんと議論がなされた大会となった。
しかし私は、「コロナ禍で中止」なんて、あってはならないと、ずっと思って来た。
これまでのオリンピックの歴史の中で、中止された大会は、戦争やテロなどが原因だった。だからこそ、オリンピックを止めるものは
「人間の愚かな行為だけなんだ」という教訓を持ち続けるためにも、「コロナ禍でオリンピックを中止なんてしちゃいけない」、と思ったのだ。
もちろんこれは、現場を運営する方々や関係者、選手の安全などを無視した考えかもしれない。
しかし「コロナ禍にオリンピックは負けちゃいけない」と感覚的に思っていた。

結果、今日無事に東京大会は開幕した。
その聖火が燃え上がるのを見ながら、自分が昔作ったオリンピックをテーマにした企業映像のタイトルを思い出した。
「感動は聖火とともに」。

同じものを皆が一緒に見上げる、というのは良いものだ。故郷姫路の、どの場所からも見える白鷺城を想うと、そう強く思う。

聖火のもと、世界中から集まったアスリートがベストなパフォーマンスを見せる。それこそがオリンピックだ。

IOC(国際オリンピック委員会)を批判、揶揄するような報道や意見もあったが、
個別個別の大会開催とは別の次元のところにその活動とムーブメントの価値はある。