「緊急事態宣言」も出て、時間の過ごし方に頭を悩ませ、普段以上に時間が過ぎて行くことやその速度を意識している人も多いだろう。時間はどのように「過ぎて」行くのだろうか。
古来、「水時計」や「砂時計」的に時間を捉えていた頃、それは「流れて」行くモノだったろう。「砂時計」の上が「過去」、落ちて行く砂が「流れる」時間、真ん中の「くびれ」が「現在」。
そして「針」が回転する「アナログ時計」が生まれ、時間は「回る」モノになり、時代は「巡る」モノになった。
そして分も秒も数字で表示される「デジタル時計」を手にして、時間は「刻む」モノになった。初めて買ってもらった黄色いボディのデジタル時計に「近未来感」を感じたのを憶えている。
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これこれ、懐かしい!画像だけ、ネット上に発見、借用。

やはり一番使い慣れた「アナログ時計」が馴染みやすく、読み取りも計算(「何時何分から何分まで、20分」とか)も早く、海外出張用に探した腕時計はアナログメインで現地時間が表示でき、小窓にデジタル表示でそこに時差計算した日本の現在時刻が表示できるモノだった。結局イイのを見つける前に海外出張なんてできない身体の障害者になってしまったが。今の部屋の壁時計はデジタル表示の「電波時計」。時間はどこかのアンテナから「送られ」て来て「刻む」モノになった。
こうしてブログを書いている間にも時間は「刻まれ」、もう20分が経とうとしている。「巡る〜め〜ぐる〜よ、時代〜はめぐる〜」という中島みゆきさんの唄はノスタルジーになってしまっただろうか。
一度死にかけた障害者にとって、時間は「砂時計」のイメージだ。自分の「余命」が
上の部屋に残っている。それがサラサラと下に流れて行く。

あの日。上の部屋の砂は全て落ちてなくなりそうになった。
しかしICUで先生が上下ひっくり返してくれた。

再び流れ出した時間は今も新しい発見と出会いを見ながらサラサラと流れている。「しっかりと」流そう、と思う。「知らぬ間」に、ではなく、くびれた「今」をしっかりと見つめながら。