「回想」のすすめ
歳を重ねれば重ねるほど、長年生きた分、思い出の数は増えていくはずです。いわば頭の中に無限の宝の山を抱えているようなもの。日常生活の中でのちょっとした出会いや思い出を記憶のノートにしっかり示しておいて、時々引き出して『発掘』『発見』するのは、下山の時期を豊かにするためのいい処方箋です。 そのためにも #回想力 をしっかり育てたいものです。
誰でも生きていれば、つらいことや、嫌なことは山ほどあります。そういう記憶は、抽斗(ひきだし)の中にしまったままにしておいた方がいい。落ち込んでいるとき、弱っているときは、生活の中のどうでもいいような些細な記憶のほうが、案外自分を癒してくれるのです。(p181)
大事なのは、自らの老いをきちんと認めること
人は、ともすれば老いたこと、老いに向かいつつあることから、目をそらそうとします。「そんなことはない」と心の中で強かったりもします。「人生の下山期」だからこそ見えてくる景色もあるのです。自分の衰えや疲れを素直に認めること。そうすれば生きて行く上で必要な神経をさらに研ぎ澄ますことも可能になるのではないか。「諦める」ことに徹しよう、と心に決めた時期から、私の後半戦は始まったのです。(p27)
人生百年時代の生き方
老人になっても「他人に頼らずに生きる」ことを目標にしたらどうかと考えることがあります。文字通り自立した生き方を模索するということです。そのためにはいくつかの条件、心構えが必要になってきます。まず経済的な基盤を自力で気付くこと。働けるうちはしっかり働いて生活資金を確保するというのが理想です。健康も大事です。できるだけ医療機関に依存しないで暮らして行く方法を発見すべきでしょう。自然の摂理に沿いながらケアをして行く方法を自分なりに考える必要があります。ここで欠かせないのが精神の自立ということです。人に頼らず孤独を楽しみながら、その中で重要になってくるのは、それぞれの死生観の確立ではないでしょうか。(p42~43)
私は今、『人生の復路』を歩んでいます。
この先は、一人自分と向き合う時間も大切にしたいと考えています。
私にとって『孤独』とは、『自由』や『自立』に近いものがあります。
誰かに依存するということで自由度も狭まると想うのです。
今、五木寛之さんが仰られていることがとてもよく分かる気がいたします。
(以下書籍本文より)
「孤独」を楽しむ
読書とは、著者と一対一で対話するような行為です。体が衰えて外出ができなくなっても誰にも邪魔されず、古今東西のあらゆる人と対話ができる。本は際限なく存在しますから、孤独な生活の中でこれほど心強い友はありません。
歳を重ねるごとに孤独に強くなり、孤独の素晴らしさを知る。孤立をおそれず孤独を楽しむのは、人生後半期のすごく充実した生き方の一つだと思うのです。(p7)
「諦める」ということ
「諦める」というのは、マイナス思考のようですが、そうではありません。
「諦める」の本来の意味は「明らかに究める」ことを意味します。はっきりと、勇気を持って現実を直視する。それが「諦める」ことなのです。覚悟する、と言ってもいい。目をそらさずに、ありのままを直視する。まず。そこから始まるのが第一歩です。
かつては人生50年と言いました。しかし、いまでは50歳は人生の前半にすぎません。私たちは90歳、いや、ひょっとすると、100歳まで生きなければならないのです。 50歳は人生の折り返し地点と覚悟する必要がある。そこからさらに50年の後半戦があるのですから。(p24)
私は新潟市西区大野町で、小さな歯科医院を営んでおります。
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