この小説では音大を中退した主人公の周囲から取り残されていくぼんやりとした不安と, それに対してどうしたらいいのかもよくわからない戸惑いが感じられる。でもそれに対してどうにかしようと足掻いているわけでもない。流されるままに自分探しをしている姿にもどかしさを感じた。

 

主人公の友人の源元は才能もあって幼なじみの彼女がいる。主人公のバイト先の同僚の寺田は裕福で地元にはやっぱり彼女がいる。才能の面では源元に敵わず, 財力では寺田に敵わず, 彼女もいない。主人公は源元の彼女の潮里のことが好きだけれども手に届きそうで決して届かない存在。取り組んでいる小説も主人公自身の意志ではなく源元に勧められたから始めたもので身が入らない。少なくとも作中で夢中になって原稿を描いている姿は描かれていない。

 

周囲との差に苛立ちを感じながらもどうにもならない突き抜けた才能や境遇を持たない人間が周囲に取り残されていくのを半ば諦めを持って受け入れていくことになるのを暗示する不完全燃焼な結末が辛い。

 

 

 

一時期話題になっていた新書を電子書籍化されたのを機に読んでみました。興福寺関係者の残した文書を元に応仁の乱を解き明かした新書なのですが目から鱗が落ちまくる良書でした。

 

本書を読む前の応仁の乱の認識は足利義政の後継者として足利義尚(義政の実子), 足利義視(義政の弟)のいずれを擁立するかで守護大名が細川勝元の東軍と山名宗全の西軍のいずれかについて戦ったというものでした。また戦いの終わりについてもよくわからないままでした。

 

しかし本書を読むことで事情がそんなに単純ではなく, 室町幕府の重臣である畠山氏の家督争いを契機として細川勝元と山名宗全が対立, そこからいろいろな出来事が積み重なっていつの間にか大乱に発展してしまったという側面があったことがわかってきます。また東軍と西軍の総大将である細川勝元と山名宗全が和睦してもその同盟軍であった守護大名たちはそれぞれの利害得失から戦いをやめずさらに戦いが長期化した様子が同時代人の記録を交えて語られています。そして応仁の乱の終結後, 明応の政変(細川政元による将軍の廃立)を経て守護大名たちが京都に常駐しなくなり戦国大名化していく様子が説明されています。

 

学校教育で習った室町時代はどことなくパッとしない印象がありましたがこの本を読むことで大きな変革の時代であったことが見えてきました。

 

 

イギリスのナショナル・ギャラリーがどのように運営されており, どのようなことを行なっているのかを取材したドキュメンタリー。美術館の運営や絵画の調査, 修復, 設置, 学芸員による絵の解説など扱っている内容は幅広い。上映時間も3時間超となかなか歯ごたえがある。

 

ここもいずれは訪れてみたい。