創価学会ニセ本尊・バスターズ

創価学会ニセ本尊・バスターズ

創価学会発行のニセ本尊の害毒に戦い、退治するブログ

創価学会発行のニセ本尊を拝むと、家族、子孫まで不幸にします。
創価学会発行のニセ本尊には、仏法に敵対する魔の力があり、これを拝むと恐ろしい魔の通力によって現罰を受け、その謗法の罪に よって永く地獄に堕ちる結果となります。
創価学会発行のニセ本尊を拝むと「うつ病」「やる気がでない」「引きこもり」「家庭崩壊」「自殺」などの現証が多く出ています。 また、本人だけではなく、家族に「うつ病」「やる気がでない」「引きこもり」「自殺」などの現証が出ています。 このニセ本尊の恐ろしい魔の通力は、家族に出るのが特徴と言えます。

   

創価学会の多くの方が、ニセ本尊と気づき脱会しています。
さあ!本門戒壇の大御本尊様の元へ帰りましょう!大聖人様が待っています!
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創価学会がどんなに立派な理由づけや言い訳をしても、絶対に許すことのできない謗法の大罪は、平成五年十月に始まったニセ本尊の大量配布です。 何と言っても御本尊は人々の信仰の対象となる最も大切な宝でありますから、日蓮大聖人以来、御本尊の法体の血脈の相伝をお受け遊ばされた御法主上人以外に、誰人といえども書写し御下附申し上げることはできないのです。


日蓮大聖人は『本因妙抄』の一番最後に、

「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。」(平成新編御書1684頁)と御教示されています。


また総本山第五十九世日亨上人はさらに『有師化儀抄註解』に、

「曼陀羅書写・本尊授与の事は宗門第一の尊厳の化儀なり」(富要1-112頁)と示されています。


かつて創価学会の戸田城聖第二代会長も、

「ただ大御本尊だけは我々は作るわけにはいかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人代々の法主猊下以外にはどうしようもない。」(大白蓮華昭和三十四年七月号)と指導されていたのであります。


この大事な信仰と化儀を破って勝手に総本山第二十六世日寛上人の御本尊を悪用して、大小自在にコピーしてニセ本尊を仕立て上げ、世界中にバラまいた大罪は、日蓮大聖人はもとより御歴代法主上人、なかでも日寛上人や、戸田会長に対する師敵対の大謗法であり、また大勢の信徒の信仰を誤らせる大謗法を重ねているのであります。その罪業は永劫に消える事がありません。

御本尊の御文字をよく見ると、左下の方に御法主上人猊下の名前と共に

「奉書写之」

とあります。

例えば「六十六世日達 奉書写之」とあれば、

御本仏・日蓮大聖人からの唯授一人の血脈を継承する日達上人が「この御本尊を書写し奉った」

という意味です。

何を「書写」したかといえば言うまでもない「本門戒壇の大御本尊」を書写されたのです。

学会のニセ本尊造りは今に始まったことではなく、今日の調査では、遅くとも昭和四十八年十二月の時点で、すでにニセ本尊(板本尊)が造られて、東京・信濃町の文化会館七階に安置されていたことが判明しています。 その後、昭和五十二年までに、次々とニセ本尊(板本尊)が造られ、各地の学会施設に安置されていきました。 要するに、池田創価学会はニセ本尊造りの常習犯だったのです。

学会では、これらの事実を隠蔽(いんぺい)すべく、「すべて日達上人の許可を得て、痛んできた紙幅(しふく)の常住(じょうじゅう)御本尊を、板御本尊として御謹刻したもの」などと言っていますが、当時、日達上人は 
「こちらが許可していない分(の板本尊)は取り上げて、注意をしました」(『大日蓮』昭和五十四年七月号) と仰せられ、七体のニセ本尊(当時、判明しただけでも、七体の板本尊が勝手に模造されていた)を総本山で取り上げたのです。  

その時は学会側が陳謝したため、宗門として大慈悲をもって見守ることとなりましたが、それから十五年を経(へ)た平成五年、学会はまたぞろニセ本尊造りに手を染(そ)めました。 かつて、ニセの板本尊を造ったことのある極悪人共ですから、紙幅のニセ本尊を造ることについて、あらためて何のためらいを感じることもなかったでしょう。 もはや、度(ど)し難(がた)い、大謗法団体であります。  
さて、ここで、学会が造ったニセ板本尊のうち、無茶苦茶な一例を紹介しておきましょう。 

写真は、昭和五十一年十月、池田大作(当時・三代会長)が自ら出向いて、東北総合研修所内の牧口記念館に安置してきたニセ板本尊ですが、なんと、これは、昭和二十六年五月三日、六十四世日昇上人から池田大作個人が賜(たま)わった御守り御本尊(もちろん紙幅)を、勝手に写真に撮(と)って拡大し、板本尊に造り変えたものだったのです。

そもそも御守り御本尊とは、日蓮大聖人が  「先日のまぼ(守)り暫時(ざんじ)も身をはなさずたもち給(たま)へ」 (御書六八五頁) と仰せのように、我が身に携帯して御守護申し上げる御本尊であり、安置して皆に拝(おが)ませるべき御本尊ではありません。ましてや、拡大した上に、板本尊に変造するとは……。  

池田大作は、このニセ本尊を安置した理由について、  「東北を厳然と守りたい。なかなか(自分が)おじゃまできないので、この研修所に御安置しておきたい。そういう意味で、小さい御本尊を東北創価学会の続くかぎり、この記念館にご安置申し上げて、皆さん方を守りたい、とお待ちしました」(昭和五十一年十月二十七日) と述べています。要するに、自分の身代わりにこのニセ本尊を安置して、厳然と東北を守る、というのですから、池田は、自分と御本尊とを対等と見なしていた、ということであります。  

学会員さん、これでも池田センセーに誤りはなかった、などというのですか。


妙観講ホームページより抜粋

http://myokan-ko.net/lib/lib2-2.html

創価学会の池田大作先生は「お下げ渡し」と称した行為で食べかけのメロンを人に与えるそうです。
ギャ〜汚〜い!

池田大作は自分の食べ残しを周りの幹部に回す癖があり、忠誠心を試しているともいわれているが、幹部たちはこれを「お下げ渡し」と呼んでいるそうです。
女子部が婦人部と統合して「女性部」になるという。創価学会が衰退している証!

聖教新聞も自力配達断念というニュースもある。
「無冠の友」も近い将来無くなりそうな予感。
最近の創価学会の学会員は、本尊にニセ物も本物もないと言う。ならば、誰が書写しても良いことにもなる。
身延のお土産物屋に売っている本尊のコピーでも良くなるし、邪宗の人が書写しても本尊となり得る事になる。
そんな道理を通す学会員は、おかしいと思わないのかと思う。
創価学会の学会員は、日蓮正宗を誹謗中傷しながら、日蓮正宗の御本尊様をカラーコピーして拝むことにおかしいとすら思わない悩乱した姿がある。

池田センセーや創価学会は、絶対に間違いがないとの思い込みから物事を見るので、ニセ本尊に気がつかないのである。


ヤフー知恵袋で聖教新聞の記事を見つけましたので紹介します。


聖教新聞は日本新聞協会に加入していない学級新聞のようなもの


以下ヤフー知恵袋のノートより抜粋


日本新聞協会は新聞社、通信社、放送社の協会なので、学級新聞ごときが入れるわけもないのですが、ここには倫理要綱というものがあります。

当たり前の話ですが、公正な立場で正確な記事を書くことを求められますし、
当然これらを守らねばなりません。
公査も入ります。

発行部数に偽りはないか。
記事の内容に偽りはないか。

もうお分かりだと思いますが、聖教新聞は公正な立場の新聞ではありません。
ここを多くの学会員たちは大きく勘違いしています。

詳しくは、ヤフー知恵袋のノートにてご参照ください。


本門戒壇の大御本尊様の元へ帰えらない限り、祈りは通じない!功徳などない!

日蓮正宗・創価学会時代は、正本堂を建て、みんな登山して、
本門戒壇の大御本尊様に唱題して、感動し涙を流して泣いた人もたくさんいました。
それが、破門されたとたんに、大御本尊様をニセ物あつかいですから、
そんな都合よく180度変われるな~って思います。


謗法の創価学会にいる限り、祈りは通じない!功徳などない!

創価学会は、本門戒壇の大御本尊様への信仰への道を閉ざし、御法主上人を誹謗し、大石寺への参詣することのできない謗法団体になってしまいました。 したがって、あなたが「信心の血脈」と言っても謗法の創価学会に在籍する限り、あなたの祈りは大御本尊様に通じないのです。