前回の続き

しばらくは満員電車を避ける生活が続き、更年期に関してはすっかり忘れていたのに今度は寝つきが悪くなった。

今までは気にならなかった光や音。
真っ暗にしないと寝れない。音も気になる。
幸い、マンション最上階で両隣が長期入院や別宅に住まれてるようで居ないためなんとか寝るための環境を作ることはできた。

次に、運動してるのに手足の冷えが酷くなってきた。
いつも冷たい。
あ、運動といえば、年齢的には割とハードな運動をしていると思うが、下っ腹の肉が取れなくなってきた。
ずっと毎朝ランニング8キロを続けていたが、手術後、ランニングするとめまいがするようになり、今も、ちょっと走るだけで目の前がグラングランなるので、走るのをやめた。それからは体幹トレーニングのみ。

そんなこんなで、2020年3月終わりにコロナの緊急事態宣言真っ只中、突然家族全員で札幌に移住しました。
理由については次回に。
5年前2016年6月に多発性子宮筋腫の悪化により、子宮全摘の手術を受けたことをきっかけにその翌年の終わり頃(2018年)から更年期障害と思われる症状がではじめた。

始めはわかりやすくホットフラッシュから。
身体が一気に火照るような熱をもつ。
次は頭痛。もともと頭痛持ちだけど、月に何度か頭痛で起きていられなくなる。

そして、2019年は驚く変化が起きた。
高校時代から約30年乗っている満員電車で、パニック症を発症した。初めて発症した日は、人身事故で電車が遅延していたこともあり、いつも以上の乗車率。急行電車がホームに止まってなかなか発車できない。さらに押し潰されそうな混雑に苦しくなってきた。ようやく発車したが身動きが取れず、次の駅まで8分ほど。なんとなく気持ち悪くなってきて目をつぶって我慢した。後もう少しのところで、ドキドキが止まらなくなってきた。ホームに入ったのかスピードがどんどん落ちてきた。我慢できず出口方面へ必死に移動して心臓が出てきそうなほどドキドキが高まった時にドアが開いた。流れに逆らいながらホームのベンチまでたどり着いてうずくまること10分。ようやく落ち着いてきたけど、ラッシュが軽減するまでベンチで待機。この日は結局1時間近くの遅刻で出勤できた。

そして、2回目の発症は3日後。同じように電車の遅延が原因でひどい混雑。
3日前の記憶がよみがえりもしやと思ったけど、一駅は我慢できた。でも、入り口から乗ってくる人の波を見て、ドキドキが始まり人の波に押されて1番奥のドアまで押しやられて、一段とドキドキが激しくなり、息苦しさを感じはじめた。出発間際にもう我慢できないと危機感を感じ、大声で「降りますー」と叫んだら、幸い1番後ろの車両だったこともあり、車掌さんが気づいてくれたので、ドアを閉めずに降りれるよう周りの方々に声をかけてくれたのです。ホームに出れた時は顔面蒼白だったようで、車掌さんが声をかけてくれたけど、電車の発車を待つたくさんの人がいるので、大丈夫なので、出発してくださいと、出発いただきました。この日も遅刻。

それからは、1時間早く会社に向かい満員電車に乗らないようになった。でも、満員電車は、帰りもあるから完全には避けれない。

つづく