Something to be EXCELLENT - Going ahead through PASSION

Something to be EXCELLENT - Going ahead through PASSION

感動した美術品 この一曲のために買う価値のあるCD 
映画 愛読書の紹介などいろいろ書いていきます

Amebaでブログを始めよう!
$Something to be EXCELLENT  -  Going ahead through  PASSION



2011年6月28日北米EMI、日本では7月13日にリリースされたX JAPANの21作目デジタル配信限定シングル「JADE」(6:19)。作詞・作曲・プロデュースはYOSHISKI。録音はYOSHIKI所有のロサンゼルスにあるスタジオで行なわれ、ジャケット写真の撮影もYOSHIKIが手がけた。本来、発売は同年3月15日であったが、3月11日に発生した東日本大震災により延期された。楽曲そのものの初演は2009年5月2日の東京ドーム公演時。SUGIZO(ギター)がサポートメンバーとして加わった。歌詞は全編英語で構成されているが、ワンフレーズのみ日本語の部分があり、聴いている者は一瞬「オヤッ!」と思うが、決して違和感を感じることは無く、むしろ新鮮で効果的だ。

X JAPANは日本を代表するロックバンド。幼稚園からの幼馴染だったYOSHIKIとToshiを核に結成された。1989年、メジャーデビュー。1997年、Toshiの脱退により解散。翌1998年、HIDEが急逝。2007年に再結成。2011年には、元メンバーのTAIJI(ベース)がサイパンで自殺するなど紆余曲折を経てきている。現在のメンバーはYOSHIKI(ドラムス、ピアノ)、Toshi(ボーカル)、HIDE<故人>(ギター)、PATA(ギター)、HEATH(ベース)、SUGIZO(ギター、ヴァイオリン)。

この楽曲を聴いたきっかけは長男である。数年前、You Tubeで2008年にリリースされたX JAPANの「I.V.」のPVを偶然眼にし、思わず聴き込んでしまった。バンドのパフォーマンスもさることながら、サウンドそのものに一気に惹かれたからだ。小学生の頃から海外のロックをもっぱら聴き、今日まで半世紀弱を過ごしてきた。X JAPANはラジオやTVで時おり見聞きはしたが、初期のビジュアルに特化したドメスティックなバンド程度としてしか認識していなかったが、現在の X JAPANの完成度の高さに正直驚いた。

その「I.V.」を何度も聴いていたら、長男が「たぶんこの新曲も気に入ってくれると思うよ」と言って「JADE」を聴かせてくれた。構成、音の厚み、演奏能力、疾走感どれも充分満足のいく楽曲だ。加えて、パフォーマンスも日本のバンドにおいては群を抜いている。ブリティシュでもアメリカンでも、それら以外のカテゴリーにも収まらない成熟したジャパニッシュ・ロックバンドの進化の完成型のひとつであろう。

ところで、その長男はHIDEの著作を中学生の時に読んで感動し、ギターを手にし高校に入学すると部活動でバンドを組んで文化祭などで演奏を披露していた。将来は音楽関係の仕事をしたいと願い、昨年大学を卒業し某大手楽器店のギブソン担当として夢の第一歩を踏み出したところだ。

2005年9月に閉館することになっていたhide MUSEUMに長男から懇望され、同年8月に夏休みを利用して家族総出で(妻、長男、次男)行った。そのミュージアムはHIDEの故郷、横須賀市のうみかぜ公園に隣接した広大な敷地内にあった。当時の小泉純一郎首相は同郷でもあり、X JAPANのファンだったことからMUSEUM建設に尽力したと云われている。

開館前から既にファンがゲート前に並んでいた。メインホールに入ると、巨大な60年代キャデラックが置いてあり、壁にはHIDE愛用のギターが数多く飾られていた。写真や衣装、活動記録を眼で追いながらひととおり観て周った後、併設のカフェテラスで喉を潤した。横須賀の海を眺めながら、このバンドが特に日本の若者に今も与え続けている影響力の大きさを漠然と思い描き、HIDEの音楽性、と同時に彼の人間性も知ることができたことは素直に良かったと思った。

その後、バンドの活動に気を留めるようになった。機会があればライブに足を運びたいとも思っている。「I.V.」と「JADE」は今も愛聴している。次回作が待ち遠しい。















$Something to be EXCELLENT  -  Going ahead through  PASSION




1973年5月25日リリース、「TUBULAR BELLS (チューブラー・ベルズ)」。PartⅠ(25:58)、PartⅡ(23:20)で構成されている。作曲、演奏、プロデュースを兼ねた弱冠20歳のマイク・オールドフィールドがギターやキーボードなど、26種類にも及ぶ楽器類を操り、一説には2400回もの多重録音により完成させた壮大なプログレッシブ・ロック組曲。また、リチャード・ブラソン率いるヴァージン・レコードの記念すべき第1号アルバム(クレジットNo.V2001)でもある。現在でもプログレッシブ・ロック・アルバムの歴史的名盤とされている。

チャート最高位はイギリス1位、アメリカ3位(グラミー賞最優秀インストゥルメンタル作曲賞受賞)、日本29位だった。

日本ではアメリカ映画「エクソシスト」のテーマ曲として1974年秋に大ヒットした。2009年ヴァージョンを同年6月8日にリリースしている。

映画「エクソシスト」のテーマ曲としてはPartⅠの冒頭部分が使用されているが、オリジナルではなく別途、録音された別アレンジのものである。オールドフィールドは映画のおかげでアメリカで大ヒットしたことには感謝しているが、自分の楽曲が編集されたことに対しては不快に思っていたという。少女に取り憑いた悪魔との壮絶な闘いを描いた「エクソシスト」のイメージとは本来かけ離れた穏やかな安らぎに満ちた楽曲である。

マイク・オールドフィールドは1953年5月15日、イングランド生まれ。当アルバムがデビュー・アルバムとなる。幼少時よりピアノを、10歳からギターを習い始める。ほとんどの楽器の演奏をひとりでこなすマルチ・プレイヤー。偏屈的・完璧主義者という性格で、そのまま音楽スタイルに現れている。幼少時代は虚弱体質で自閉症気味だったらしく、音楽以外のことには自信を持てなかったらしい。1982年、初来日公演を行なっている。2012年、ロンドン・オリンピックの開会式で演奏を行なった。

リチャード・ブラソン(サー・リチャード・チャールズ・ニコラス・ブラソン)は1950年7月18日、ロンドン生まれ。17歳の時にパブリックスクール(イギリスの私立の学校の中でもトップの10%を構成するエリート校の名称)を中退し、中古レコードの通信販売からスタートし、本アルバムの世界的大ヒットを足がかりに、“ヴァージン・レコード”をセックス・ピストルズ、カルチャー・クラブ、XTC等が所属するメジャー・レーベルへと成長させた。その後、航空会社から宇宙旅行をも手がける旅行代理店、映画館、F1チーム、鉄道、携帯電話事業や金融業に至るグローバル・コングロマリット「ヴァージン・グループ」を築き上げ、現役の総帥としてアグレッシブに活動している。さらに、冒険家として飛行機による無着陸世界一周飛行、熱気球での世界一周飛行など、その勢力は衰えず、世界で最も‘クールでセクシー’な経営者として羨望の的である。2000年には多大なイギリス経済への貢献によりエリザベス女王より「ナイト」の称号を賜わり、王室との親交も深い。

高校3年の夏休み、予備校の夏期講習で上京したときに、お茶の水のディスク・ユニオンで本アルバムの輸入版を入手した。中学生の時に公開された「エクソシスト」のテーマとしての先入観が強く、さらにレコード盤の中央にプリントされているヴァージンのレーベル・デザインもオカルティックさを助長させていた。受験勉強をしながら、深夜になるとたまにBGMとして流した。

ロックでもなく、フォークでもない。ジャズやクラシックとも違う。聴き込むうちにエレクトリック楽器を多用した現代音楽に近いのかなと思ったこともあったが、特定のジャンルにカテゴライズできない不可思議な音楽だと今でも感じている。最近は、CD盤で‘どっぷり’と聴き込んだ後に読書やデスクワーク時のBGMとして流しても、心地好くけっして邪魔にならないので愛聴盤の一枚となっている。今後もロックの古典「クラシック」として永久に聴き継がれていくに違いない。改めて20歳の若者が40年前に創った才能に感嘆する。

随分前に翻訳の仕事を頼まれたことがある。和訳を対象とする文献はマイク・オールドフィールドの英国版原書の自叙伝だった。パラパラと写真も入ったその本を捲りながら仲介者に依頼主を尋ねると、「あなたと同年代の男性、『TUBULAR BELLS』の熱狂的なファン、英語が読めないので和訳を熱望し多少のお金がかかってもいいからできるだけ早く内容を読みたいそうだ」と語った。不思議な依頼の仕事だったが興味もあったので引き受けた。2カ月くらいかけて拙劣な和訳をなんとか完成させ、仲介者に渡した。その後のことはわからない。翻訳作業中、音楽の専門用語が頻繁に出てきて苦労した憶えがある。

深夜の高速道路を運転中に流すと、何故だか睡魔も吹っ飛ぶ。


   



$Something to be EXCELLENT  -  Going ahead through  PASSION



「訃報:モータースポーツ・ジャーナリスト 西山平夫さん死去」の見出しをネット上で偶然目にした。亡くなったのは2010年10月4日夕刻。享年58歳。既に2年以上も経過してしまっている。胸が詰まった。

西山平夫氏は、1976年「オートスポーツ」編集部に入り、同年富士スピードウェイで開催された日本で初めての記念すべきF1グランプリ・レースを取材し、モータスポーツ・ジャーナリストとしての経歴をスタート。1984年、フリーランスとなり、1986年「レーシングオン」の創刊に参画。1990年よりF1シリーズをレギュラー取材。1997年以降は、F1グランプリを全戦取材してきた。

主な寄稿先に「Racing On」「F1速報」「NAVI」「Sports Graphic Number」「Sportiva」「東京中日スポーツ」などがあった。『ブリヂストンがグッドイヤーを追い抜いた日』『君が代が聴きたい 佐藤琢磨とホンダの戦いを追って』の著作も買って読んだ。趣味は古書店と古道具屋巡りだという。『おいしい和食器』という洒脱な著書もある。

氏の文章は“西山節”とも呼ばれ、多くの読者を惹きつけた。また、業界関係者からは「HEYさん」や「御大」と呼ばれ親しまれ尊敬される存在だった。

“西山節”の大ファンを自認するひとりだが、アイルトン・セナがイモラで散った以降、F1の中継も以前ほど全戦観るということもなくなり、F1誌も読むこともほとんどなくなっていた昨今だった。当時はF1関連の記事は“文:西山平夫 (Hirao Nishiyama)”を確認してまっ先に読んでいた。

西山「御大」は1952年、佐渡島生まれ。同郷で7歳年上の佐渡高校の大先輩でもある。多摩美術大学デザイン科を卒業していることからか、氏の文章は鋭い審美眼を駆使し、まるで映像が浮かぶほどその色彩感覚はヴィヴィドで、F1という激しいモータースポーツの記録を美しく描いていたと思う。

「Sports Graphic Number」のベスト・セレクション、精選13篇にも選ばれた「伝説の完結 - アイルトン・セナ、最期のレース」(Number341/1994年6月9日号)からその文章の一部を抜粋します。




$Something to be EXCELLENT  -  Going ahead through  PASSION




『やや右に傾いた金雀枝(エニシダ)色のヘルメットが、5月に入ったばかりのイタリアの午後の陽光を受けて、静かに輝いていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そのコクピットの中で、彼は仮眠をとっているかのように、身体からいっさいの力を抜い
ていた。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
若葉は光をはね返しながら囁き合い、そこに鳥の声や河の流れの音が混じっていた。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・F1ファンの背筋に驚愕と恐怖の痺れを走らせた。
セナが、あのセナが動かない!
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・数字以上に偉大で、神がかりで、天才的で、ドラマチックで、奇蹟的で、エモーショ
ナルで、つまりF1そのものだったこのヒーローが、時代のステージから去らなければな
らない時が来ていたのではあるまいか。
そうだとしたら、セナのような天才の存在はやっかいである。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いや、たったひとつ、天才にこそ相応しい終わり方があった。そう、それはトップを堅持したままフッと消えてしまうことである。決して彼自身が望んだとは思えないが、まさにそのような形でセナはタンブレロに散った。悲劇的ではあったけれど、ヒーロー伝説の完結は、悲劇的にしかしめくくれないのではないだろうか。
 
あのアクシデントは、マシン・トラブルだったに違いない。おそらくそうだろう。しかし、セナ自身がセナ自身の手で、自らの時代の幕を引いたように思えてならないのだ。グランプリの冷酷な力学が、彼を屠る前に。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1994年5月1日午後2時17分。F1の申し子と呼ばれた男がイモラ・サーキットのタンブレロ・カーブに激突し、34年の生涯を終え足早に去って行った。

そして、伝説が残った。』

セナと同じ処に逝ってしまった尊敬する大先輩のご冥福を心から祈念します。