人間が神の分け御霊なら
不完全なのにも意味がある。
不完全ならば
どこが足りなくて、どこが不要なのか、
時間と空間をかければ見えてくる。
幸せも不幸せも、大きな出来事も小さな出来事も。
最初は渦の中に身を投じていたとしても、
やがて気づき
投じるのではなく観察するようになっていく。
その為に
他次元・他時間・未来や過去の「自分」が
多くの事柄を設定をしている。
不完全な今の「自分」が、どのように「完全」への道を辿っていくのかを観察するために。
長い、長い、長い、
時と次元と空間をかけて。
不完全なのにも意味がある。
不完全ならば
どこが足りなくて、どこが不要なのか、
時間と空間をかければ見えてくる。
幸せも不幸せも、大きな出来事も小さな出来事も。
最初は渦の中に身を投じていたとしても、
やがて気づき
投じるのではなく観察するようになっていく。
その為に
他次元・他時間・未来や過去の「自分」が
多くの事柄を設定をしている。
不完全な今の「自分」が、どのように「完全」への道を辿っていくのかを観察するために。
長い、長い、長い、
時と次元と空間をかけて。

今日は節分。
「鬼はそと」の鬼って、よく絵本に出てくる頭に角の生えた赤や青の鬼になっているけど、今は違うよね。
昔は排除する対象としてそんな鬼の存在を設定したけれど、そういう存在は朝廷に刃向かう人たちを「鬼」としたもの。
ある意味迫害の歴史。
同じ「人間」で、同じ時間を生きていた存在。
今の「鬼はそと」の鬼は、自分の中に内包する鬼。
思考として湧いてくる、自分や他の人へや他のものに対するネガティブな思いや感情。
そんなものがドロドロ煮詰まってしまったものが「鬼」。
今日は、
「鬼はそと!」で、自分の中をのそんなものを外に追い出して大地に浄化してもらい、
「福はうち!」で、空間に満ちている清浄な気を内に呼び込もうと思います(#^.^#)

因みにここでは、家庭の豆まきの豆は落花生が多いです。
いつもはいり豆なんだけど、今日は落花生で

鬼はそと

福はうち






























