雨は嫌いだ。
 あの夜を思い出すから。
 心に降り続ける雨は、未だ自分を縛り付けている。
 暗く冷たい、檻の中に。
 
 だけど、温かい思い出は。
 その扉を開く鍵は。
 確かに、この胸の中にある。
 
 
 
 
幻想水滸伝
虹の鍵
 
 
 
 
 ユリウスが倒れた。
 長い間、雨に打たれていたことが祟って、高熱を出したのである。
 知らせを聞いて、フリックやビクトール、シーナにルックといった面々が入れ替わりに病室へ見舞いにやって来た。
 しかし、彼らは眠るユリウスの姿を見るなり、安心したようにその場を立ち去っていく。おそらく、静かに眠らせてやろうという配慮なのだろう。
 こんな時、いかに彼らがユリウスのことを大切に思っているのか、カナタは身を以て感じさせられる。
「マクドールさん、気づいてますか。貴方の周りには、今こんなにも大勢の仲間がいるんですよ」
 ベッドの上で死んだように眠るユリウスに、カナタはそっと語りかけた。
 強い生気を宿した漆黒の瞳は閉じられ、端正な白い顔はまるで人形のようだ。僅かに上下する布団が、かろうじて彼が生者であることを示していた。
 彼の呼吸が整ってきたことに安堵し、カナタは「また来ます」と一言残して、病室を後にした。
 外では相変わらず、雨が地面を叩きつけている。その音は激しいものに変わり、滝の下にでもいるような錯覚に陥る。
 攻め立てるように降り続ける雨に、さすがのカナタもどこか憂鬱な気分になった。
 
 
 
 * * *
 
 

 翌朝。
 昨日の雨が嘘のように外は晴れ渡り、清々しい青空が広がっている。
 まるで眠りから覚めたように、城内でもあちこちから元気な笑い声が聞こえてくる。
「マクドールさんの具合はどうですか!?」
 朝一番に病室を訪ねるなり、カナタは大きな声で医師のホウアンに掴みかかった。
 そんな彼にホウアンは人差し指を立ててから、穏やかに微笑んだ。
「熱も下がってきましたし、今日中には目が覚めると思いますよ」
「そうですか!よかったぁ~」
 満面の笑顔ではぁ、と胸を撫で下ろす。
 窓際のベッドを見やると、ユリウスが安らかな寝息を立てていた。
「! 先生。あそこの窓、開けてもいいですか?」
「えぇ、構いませんよ。お願いします」
 カナタはユリウスを起こさないように、そっと窓に手を伸ばした。開け放たれた窓から流れ込んだ風が、ふわりとカーテンを揺らす。
「せっかくのお天気なんですから。ここ、開けておきますね」
 答える声はないと分かっていても、ユリウスの顔を見ながら囁く。
 彼の顔色は、確かに昨日よりもいいようだ。雨の中で倒れた彼を運んだ時はどうなることかと思ったが、もう心配はないだろう。
「ボク、今日は上でずっと書類と格闘してるんで、何かあったらすぐに呼んで下さいね!」
「分かりました。お務めご苦労様です」
「いえいえ、それほどでも~。それじゃ!」
 パタパタと軽快な足音が遠ざかる。
 それが聞こえなくなるまで、ホウアンはどこか微笑ましそうに耳を傾けていた。
 
 
 
 * * *
 
 
 
 カナタが病室を去って数時間後。
 ユリウスの睫が微かに揺れ、その目がゆっくりと開かれた。気怠さの残る体を起こし、どこかまだ虚ろな様子で漆黒の瞳が辺りを見回す。
 室内は静寂に包まれ、カーテンが靡く音と、遠くの人々の笑い声だけが、優しく耳に届く。
「…………風………」
 どこからか心地の良い風が頬を撫でる。
 外からだ、と思い当たり、ユリウスは何気なく開いた窓の向こうを眺めた。
「――っ」
 そこに広がる光景に、意識が覚醒する。

 ―――青空に描かれた七色の道。
 いつかの風景と重なるそれに、ユリウスは僅かに目を細めた。
 
 
『なんだよ。お前、雨が嫌いなのか?』
『だって、雨が降ってたら外で遊べないじゃないか』
『俺は結構好きだけどな。雨音は音楽みたいだし、普段見てる景色も違って見えるし』
『そうだけど……』
『それに雨の後には…―――――ほらっ!』
『――わぁ…っ!!』
 彼が開いた窓の向こうには、今まで見たこともないくらい大きな虹が広がっていて。葉の先に残された雫は、陽光を浴びて宝石のように輝いている。
 それはまるでこの世のものとは思えない、幻想的な風景だった。
『そーいやユリウス、知ってるか?』
『何を?』
『“虹の麓には宝物がある”って話』
『それホント!?宝物って何!?』
『さぁな。そいつは俺も知らねぇ』
『なーんだ』
『でも…―――』
『?』
『いつか二人で行けたらいいな。その…宝物ってやつを探しにさ』
『! うんっ、約束だよ!』
『……あぁ!』
 けれど、その約束が果たされることはなかった。
 あれ以来、虹を見るたび約束が心に過ぎり、いつも胸が痛くなった。
 
 
「――――…虹の麓、か」
 そう独りごちて、ぼんやりと虹の軌跡を辿っていく。
 虹の麓なんて、物理的にあるわけがない。そう自嘲気味に笑いながら。
 ―――だが。
「―ッ!」
 『虹の麓』に当たる部分は、地平線に発生した雲海に吸い込まれるように折り重なっており、まるで雲の中から虹が生まれ出でたようだった。そして雲海の麓には、何の変哲もない小さな森がその存在を強く主張していて。朝霧に霞んだ中に、確かにそれは在った。
 夢とも現実ともつかない光景に、ユリウスの意識がまどろむ。
 ただ無意識のうちに、ベッドの横に立てかけてあった愛用の棍を手に取って。気づいた時には、すでに城から飛び出していた。
 
 
 
 * * *
 
 
 
「ありがとうフェザー。助かったよ」
 件の森の入り口で、ふさふさの羽毛を優しく撫でながら、慈しむようにユリウスは顔を埋めた。
 城を出てすぐにユリウスの目の前に降り立ったのは、グリフォンのフェザーだった。病み上がりの彼を気遣って、どうやら後を追いかけてきたらしい。
 背中に乗るように示したフェザーに、最初こそ渋っていたものの、ユリウスはその厚意に甘えることにした。正直なところ、重い体はあまり言うことを聞いてくれなかったので、とても有り難かったのだ。渡りに舟とはこのことを言うのだろうな、とユリウスは苦笑せざるを得なかった。
「ここまでで大丈夫だよ。君はもうお帰り」
 ユリウスが城の方向を指さすが、フェザーはまったく帰る気配を見せない。それどころか、彼の胸に頭を押し付けるようにしてじゃれてくる。
「……もしかして、待っててくれるのかい?」
「キュウゥゥ~」
 どこか嬉しそうに鳴いて翼を広げたフェザーに、ユリウスはもう一度だけ「ありがとう」と囁いた。 そして、薄暗い森の中に一人足を踏み入れる。

 自分はこの森に来て、何をしようというのだろう。何を期待しているのだろう。
 ―――“虹の麓には宝物がある”。
 そんなお伽話を、今さら信じてみようと思ったわけではないけれど。
 あの約束を、果たしに来たわけではないけれど。
 檻の外に、光を見たから。
 扉を開ける鍵が、ここにあるような気がしたから。

 ユリウスは何を考えるでもなく、足の向くままに森の中を歩いていた。
 鳥の囀りも獣の鳴き声も聞こえない、ひどく静かな空間。頭上から微かに漏れる陽光は、まるで光のカーテンのようで。
 この森の存在自体が、どこか神聖なものにすら感じられる。
「――…っ?」
 どれくらいの間、歩いていたのだろうか。
 森の奥深くまで来たところで、何の前触れもなく右手の甲が疼いた気がした。でもそれは、少しも嫌な感じではなくて。
「こっち、なのか…?」
 道から外れ、まるで導かれるようにして背の高い草を掻き分けていく。
 ―――この先に、何かがある。
 どこかでそれを確信している自分がいる。
 不思議な感覚と共に、ユリウスは一心に進んでいく。

 しばらくして、幕を取り払ったように視界が拓けた――――その先には。
 見事なまでに咲き誇る、一面の福寿草。木々の間から差し込む光に照らされて、黄金の花びらが美しい輝きを帯びている。
「は、はは………」
 力無く笑いながら、ユリウスはその場に座り込んだ。

 その脳裏に蘇るのは、遠い日々の温かい思い出。
 
 
『ハッピーバースデー、ユリウス!!』
『わ、テッド!――…この花は?』
『福寿草だよ』
『フクジュ、ソウ?テッドの好きな花?』
『なんだよ。ユリウスは福寿草の花言葉、知らねぇのか?』
『うん』
『はぁ~…今どき花言葉も知らないようじゃ、女の子からはモテないぞ』
『悪かったね。…これ返す!』
『残念でした。それ返品不可だから』
『なっ…!』
『―――福寿草の花言葉はな、“永遠の友情”っていうんだよ』
『え…』
『ま、これからもよろしくってことで!』
『テッド……』
『へへっ』
『…ふふっ。だけど誕生日に花束なんて、僕は君の恋人かい?』
『む。嫌なら返せよ』
『やだよ。それに、返品不可なんだろ?』
『『…………』』
『『………ぷっ。あはははは!!』』
 誕生日に両手いっぱいの福寿草を持って。
 彼は笑った。これからもよろしく、と。
 
 
 虹のふもとには宝物が。
 福寿草。
 ―――“永遠の友情”。
 
 
 ユリウスは右手を胸に抱き、目を瞑った。
 その肩が小さく震える。それは次第に大きくなり、きつく結ばれた唇から押し殺したような呟きが漏れる。
「………今だけは………………今だけは………泣いてもいいよね?テッド……………」
 その声に答える者は無かった。
 
 黄金の花畑の中で、少年は静かに泣いた。
 零れ落ちる涙を拭うこともせず。ただただ右手を強く握り締めて。
 風に揺れる木々が、彼を包み込むように優しくざわめく。
 
 
 頭上の空はどこまでも青く、澄み渡っていた。
 
 
 
 
  END
 
 
 
 

 おまけ

「マクドールさんっ!!」
 フェザーと共に城の庭に降り立つと、涙目のカナタに勢いよく抱き付かれた。
 それを合図に、あっという間に馴染みの顔に囲まれる。
「どこに行ってたんだ。心配してたんだぞ!」と、服と同じくらい顔を青くしたフリック。
「よく帰ってきたな!」と、豪快に頭を撫で回してくるビクトール。
「ったく…本当に世話が焼ける奴だな、お前は」と、汗だくになりながらも平静を装うシーナ。
「その放浪癖、何とかしなよね」と、いつもよりどこか迫力のない目つきで睨むルック。
「ユリウスさんの快復祝いに、三人でケーキ作ったんだよ!」と、目を輝かせるテンガアールに、その隣で笑うビッキーとカスミ。
 突然のことに身動きが取れずにいると。
 抱き付いていた腕を放して、カナタが満面の笑顔を向けた。
「おかえりなさい!!」
 そこにいる皆の視線が一斉に僕に集まる。
「―――ただいま」
 そう言って微笑んでみせると、彼らも満足そうに笑って。
 その笑顔に、僕の心はとても晴れやかだった。