暑かった夏も、駆け足で遠のき、秋は深まって行きます。
ひんやりした朝の空気も、少々、寒さを感じ始めました。
それでも、貴重な景色が見られる、至福の朝の散歩は、続いて
おります。
でも、秋風が旅心を擽ります。
という事で、ちょっと、熊本の菊池まで、小さな旅をしてまいりました。
ひと月に、1日しか休みが合わない嫁さんと、車で出かけます。
平日とあって、車の通りの少ない、山間の農道を阿蘇の外輪山を
目指して走ります。
ちょっと、菊池市内に用事があるのですが、あまり慌てる旅でもないので
いつも素通りする、菊池渓谷へ寄ってみる事にしました。
かなり以前に来た事があるのですが、ほぼ・・・記憶にありません。
ちょっと前までは、こういう遊歩道でも、歩いてみよう・・なんて
あまり思った事が、なかったのですが、今は、とにかく!!
気持ち良く感じます。
そして、空気が、新鮮に感じます。
これも、朝の散歩のせいでしょうか・・・
木々の隙間から、吹き込む、風が気持ち良いです。
気持ち良さが、少しでも伝われば・・・と動画を撮ってみました。
おっと!!マムシに噛まれないうちに、出発しましょう♪
渓谷を出て、菊池市内へ向かう途中・・・
ふと・・・この近くに、大河ドラマ「いだてん」のロケ地が、
あった事を思い出し、道路脇を見ながら、走っていると・・・
たぶん・・・あれです。
ドラマの中では、主人公の「金栗四三」の家という設定でした。
この石橋の向こうにある家が、「金栗四三」の家なんですが、
どうやら、住人がおられるようですので、邪魔にならないように
写真だけ、撮らせてもらいますね。
ドラマの中で、「金栗四三」が橋の下をのぞき込むシーンが
あるのですが、橋の下で、子供達が泳いでいるカットは
熊本の山都町の佐俣という所みたいです。
映像の魔術とは、恐ろしいもんですね。
前々から、気になっていた所なので、見られて良かった♪
この行き当たり、バッタリ感が、最近は、すごくツボです (笑)
さて、菊池市内へ向かう途中・・・またまた、思い出し・・・
今度は、竜門ダムへ寄ってみました。
どんどん、気分がのって来ましたよ~!!
元々、そんなにダムに興味はないのですが、ツーリングの
折に、ダムに寄り、マジマジと見ると、こんなに巨大な構造物は
ないよね・・・と、ちょっとだけ、興味が沸いてきましたね。
というより、とにかく、大きさに圧倒されます。
そりゃ・・・進撃の巨人でなくても、壊したくなりますよ (笑)
現在、コロナ・・・で、見学やダムカードの配布が中止になって
いますが、解除されたら、またbanditsの、みんなを連れて来ると
しましょう。
ダムへ行く途中に、変な看板を発見!!
行ってみると、実に怪しい神社がありました。
下りてみると・・・・
説明が難しくて、分かりにくいんですが、どうやら、「宇宙一」の
パワースポットらしいです (笑)
とりあえず、ご利益が、あるかも知れませんので、拝んで
おきましょう。
これで、明日から金持ちが決定!!ですね。
この大木が、ご神木でしょうか・・・
なんと!!繋がっております!!
中々、菊池に到着できません。
竜門ダムから県道「イサミ」(笑)を通り、やっと菊池市内へ
到着です。
遊び過ぎて、いつの間にか、昼を回っております。
熊本と、いえば味千ラーメンです。
ズルズルっと!!頂いて!!!
やっと!!目的地!!到着!!です!!
今回は、私の苗字「甲斐」は、鎌倉時代に一大勢力を持った
菊池一族からの分家だという事を耳にしたので、何か細かい事が
分かるかも知れない・・・とやって来た次第です。
町の中心部にある「交流館」に行ってみました。
お~!!あります、あります・・・
貴重な甲冑が展示してあります。
本物なのでしょうか・・・
菊池一族は、元々、奈良、京都で南北朝時代に、勢力を
持っていたらしいのですが、この九州地区は15代目の
「武光公」からだという事でした。
一時期は、九州の上半分を領地としたみたいです。
ですが、その一族も、何百年も続く間に家督争いを繰り返した
という事らしいですね。
甲斐氏は元寇の役に活躍した菊池武房の子武本に、始まるという。
武本は甥の時隆と菊池家の家督を争い、鎌倉の評定所で敗訴になった
ため、時隆を殺害して自害した。
子の武村は甲斐国都留郡に逃れて住し、その子重村のとき鎌倉幕府が
滅亡した。
その後の争乱に際した重村は手兵を率いて足利尊氏に属し、
尊氏とともに九州に下った。
九州に入った重村は、故地甲斐国にちなんで甲斐を名乗り、
武家方として行動した。
延元三年(1338)、大友氏の援軍とともに肥後へ進出したが、
菊池武重に敗れて、日向に逃れた。
その後、土持氏を頼り、ついで高千穂に移住して三田井氏に
客分として遇され、日向鞍岡の地に土着したという。
三田井氏は高千穂の未開の地を甲斐氏に開拓させたため、
甲斐氏一族は日向北部に広まっていった。
いまも、高千穂地方には甲斐姓が多く存在している。
(ネットより抜粋)
上の説明文から分かるとおり、五ヶ瀬、高千穂、日之影、北方に
「甲斐」の苗字が多いのは、こういう背景があったからだと思います。
菊池の家紋は6代目の「隆直」から揃羽根です。
武本が「甲斐」を名乗りだしてからは・・・

この交差羽根みたいです。
私の友人に、やっぱり「甲斐」という苗字の人が
いますが、親父さんは、五ヶ瀬、出身です。
この彼の家紋は、やっぱり、この交差羽根です。
もしかすると、直系なのかもしれませんね。
今度は、すぐ近くにある、「菊池神社」へ行ってみました。
ここは、春に来ると、桜のトンネルの中を歩けるのかもしれませんね。
さすが!街灯が家紋と刀に、なってます。
おや?季節外れのボケ桜が、咲いているようです。
目覚めを間違えたかな・・・
かなり!!階段を登って来ましたが、まだ!最後の階段が
ありました。
でも、予想以上に、由緒ある風情が、します。
ここは、先ほど、説明した、この土地の初代の「武光公」が
祭ってあります。
「武光公」に、お参りをして、祠の横にある、資料館に
行ってみました。
ここにも、本物でしょうか・・・
その当時のような甲冑が、並んでいます。
つい・・・溜息が出ます。
つくづく、自分たちの現代は、この歴史の上に成り立っている
んだな・・・と感じます。
ここの資料の中の家臣の名前の中に「隈部」という家臣の
苗字がありました。
説明を読んでみると、「頭の回転が早く、賢い・・・」と
書いてあります。
以前、うちの店のお客さんで、五ヶ瀬、出身の「隈部」とう
方がおられました。
この方も、やはり・・・この菊池一族、絡みの末裔かも
しれませんね。
この写真・・・びっくりするでしょう?
そうなんです。
みなさんの知ってる、幕末の英雄「西郷隆盛」も菊池一族の
末裔なんです。
これが、菊池一族から枝分かれした、西郷家の家系図です。
更に、拡大すると・・・
この「吉之助」が西郷隆盛です。
説明文を読みますと・・・
と書いてあります。
だから、この地区は「西郷」です。
幕末に、「西郷隆盛」は島流しになる事が、あります。
「西郷隆盛」の名前は、隠さねばなりませんでした。
その時、名乗っていた名前は「菊池源五」です。
これは、「西郷隆盛」も自分が菊池一族の末裔である事を
知っていたからでしょう。
いつも、思いますが、歴史は、必ず繋がっています。
何かに、躓き、調べていくと、自分の知っている断片が
更に、繋がっていきます。
これが、面白くてたまらない!!
私は、学者でも学芸員でもない、ただの趣味の道楽なので
デマも混じっているかもしれませんが、遊びながら、マイペースで
自分なりに、学んで行く・・・
この時間と空間が、この上なく、楽しいですね。
さて、遊んだ、遊んだ・・・・陽が沈み始めたので、帰ると
しましょうか・・・
秋風に感謝です。










































