二輪屋イサミ 局長のブログ -52ページ目

梅雨が明けそうで、開けない・・・

湿気の高い、はっきりしない天気が続いています。

 

 

こんな天気でも、やっぱり、何処かへ・・・・

行きたくなります。

しかし・・・天気が天気なので、欲張っても仕方ありません。

こんな時は、時間に追われず・・・風の向くまま・・・

走るのがベストですね。

 

 

交通量の少ない、昔、国道だった、川沿いの道を、ボチボチ

走ります。

街の中と違って、山間の川沿いは、ひんやりしていて、気持ち

良いです。

さて、何処へ行こうか・・・・

 

 

ぼ~っと、走っていると・・・

ふと・・・高千穂の天岩戸神社の近くの「八大竜神様」の事を

思い出し、行ってみる事にしました。

 

 

以前、菊池にある「八大竜神様」に行った事があるのですが

何か、関係が、あるのでしょうか・・・?

 

 

鳥居をくぐり、参道を奥へと歩いて行くと、空気が澄んでいて

抜けて行く風が冷たく感じます。

 

 

御神木でしょうか・・・・

かなりの樹齢のような気がします。

 

 

近づくと、その大きさに圧倒されます。

私の他にも、参拝者が何組か、居られ、熱心に参拝されて

いました。

 

 

私も、本殿にて、これよりの仕事の繁栄を祈願させて頂きました。

 

 

奉納された、灯籠の名前を見て、びっくり!!

 

 

 

 

私は、あまり野球やボクシングの事は、詳しくないのですが

それでも、「川上 哲治氏」や「藤田選手」の名前くらいは

わかります (笑)

 

菊池の「八大竜神様」も「宇宙一のご利益」という風に書いて

ありましたが、この「八大竜神様」も、かなりの、ご利益が

あるのでしょう。

よく言う・・・「パワースポット」なのでしょうね。

 

 

そういえば・・・ここに来る途中に、面白い案内板を見つけました。

この真ん中の「おぢ~!!」というのは、地元の方言で「怖い」

という意味です。

それだけ、高いという事なんでしょうけど・・・・(笑)

 

 

 

 

という事で、通ってみる事にしました。

橋の上から、下を見て、「おぢ~!!」と言えばよかったので

しょうが、私は、正真正銘の高所恐怖症なので、スルーします (笑)

 

 

さてさて、何やら、先ほどから、パラパラと落ち始めたようです。

 

 

久しぶりに、「藤江監物氏」の獄死跡に寄って帰りました。

午前中だけの小さなブラリ旅だったけど、楽しい旅でした。

 

え?「藤江監物」って誰?

という人のために・・・・

 

今から270年以上もの昔、延岡藩は牧野氏の時代。出喜多村

(いできたむら、現在の出北)は、

米を作ろうにも土地が川より高かったため水を引くこともできず、

「ヒバリの巣」と言われるほど荒地が広がっていました。
出喜多村の農民は、前々から「何とか水を引いて欲しい」と

藩に願い出ていましたが、聞き入れてもらえませんでした。

こうした状況を、家老の藤江 監物(ふじえ けんもつ)は哀れに思い、

厳しい藩財政で反対意見が強かったのを説き伏せ、井堰を作り、

出喜多村まで水を引くことにしました。

工事責任者には、郡奉行で水利・土木技術に優れていた

江尻 喜多右衛門を命じました。

最初、三須(みす)に井堰を作り始めたが、地盤が軟らかく

度々洪水で流されたため、地盤の硬い今の岩熊(いわぐま)

につくることにしました。

工事は難航し、反対派からは工事中止との意見や非難を受け、

監物を快く思っていない他の家老達は軍用金流用の汚名を着せました。
軍用金流用の疑いにより、監物は3人の息子とともに日之影の

「舟の尾」の牢に入れられます。
病弱であった長男は半年足らずで亡くなり、監物もその死を悲しみ

自ら食を断って亡くなりました。

監物の遺志は江尻 喜多右衛門が引継ぎ、監物が亡くなって3年ののち、 

11年もの歳月と多額の資金をつぎ込んだ岩熊井堰と

12キロにも及ぶ用水路が完成しました。
その後、延岡藩は300石余の増収をみたといいます。

そして、藤江 監物と江尻 喜多右衛門が亡くなってからおよそ

200年後の大正14(1924)年、両氏の功績が公に認められて

従五位を授けられました。

日之影町舟の尾にある藤江監物父子の墓は、今でもこの井堰によって

恩恵を受けている人々によって大切にされており、旧暦の8月17日

岩熊土地改良区の組合員が多数参拝し、法要を営み感謝報恩の

至情を表しています。
また、出北の住民は、藤江 監物と江尻 喜多右衛門の恩を永く忘れぬため、

出北に二人を祀る観音堂を建て、毎年旧暦の8月18日に

慰霊祭を行なっています。

 

藤江 監物・岩熊井堰

 

ちょっと、文面が長いのですが、延岡の発展に貢献した人です。

今でも、当時の石組みの水路が残っていると聞きます。

罪人にされ、銅像も残ってない状態ですが、決して

忘れてはならない人ですね。