第9回目

Q 韮山にある『蛭ヶ島』(ひるがしま)という場所は、

   どんな歴史があったところでしょう?

A 源の頼朝(みなもとのよりとも)という人が
   流罪(るざい)となり、14歳から34歳までの20年間を
   過ごしたとされる場所です。

Q 流罪とはどういうことですか?

A 父親の義朝が平治の乱という戦いに敗れたため、
   蛭ケ島に連れてこられ、そこで監視をされながら
   過ごしたそうです。


Q  その当時(1160年)は、この辺りは
    どのようなところだったのですか?

A 洪水の度に、狩野川(かのがわ)の中州(なかす)と

  なった場所で一番小さい中州(なかす)だったので、

   「蛭ヶ小島」とも呼ばれるようになったそうです。

  *中州とは…川の中で、土砂などが積もって低い島のように

   なっている場所。

Q その後、頼朝はどうなったのですか?

A 平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠地(ほんきょち)としたのち、
  平氏を滅ぼし、その後、鎌倉幕府という
  政権を開きました。
         * ちなみに、北条 政子(ほうじょう まさこ)という人と
             結婚しました。
            『 政子産湯の井戸』(まさこうぶゆのいど)という

      史跡(しせき)もありますよ!

               なるほど!と感じていただけましたか?

                                   ME