一時間唱題を始めてから7ヵ月になる。
母親の病気の克服を祈って始めた唱題も、母親が元気になるにしたがって自分の仕事の悩み事に変わっていった。
自営業の仕事が激減していたからだ。

生活費もままならない月が続き、カミさんがキレたときに
「題目だけあげてても
        何にも良くならない!」
って言われた。
きっと、病気になったとき病院にも行かずに題目だけ唱えていれば治るのか?って事が言いたかったのだろう。

でも、僕はこう思う。
じゃあ信仰ってなんなんだよって。
僕は出来れば病院になんて行きたくないんだ。

御書に、
「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」
      とある。

そうだ。南無妙法蓮華経は精進行なんだ。
唱題こそが行動の第一歩ではないか。

結果、僕は病院に行くことになるかも知れない、また病院に行かずとも治るかも知れない。いずれにしても、唱題をあげた結果なら長い目で見た良い結果なのだろう。

こう思える事こそが信仰なんだと思う。   



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