こんにちは
Lake です
ご覧いただきありがとうございます
やらなきゃいけないって
わかってるけど
なんだか 動けないなぁ
という時って
誰でもあると思うのですが
私も よーーーくありまして
私の場合
その理由の多くは
怖れが原因です。
コワイなぁと思って動けないこと
慎重に考え過ぎてしまうことは、
コトが大きいほど よくあります。
でも 今日は
そんな 大それた行動の話ではなくて
日々の
生活のなかで発生する
日常の、ちょっとした
やらなきゃいけないこと
について書いてます
日々の生活のなかの
やらなきゃいけないことは
私の場合、どちらかというと
放置していると
あとで 結局よけいに面倒になるから
先にやってしまう
傾向があります。
面倒くさいから
面倒なことにならないうちにやっておく
あ、でも
放っておいても面倒にならないなら
面倒だから
先延ばしにすることも・・・
なぜ
こんなことを思うのかというと
我が家の子どもたちは
いろんなことを
面倒くさがって 先延ばしにして
なかなか動かないんですよ〜
それ、そのままだと
あとで大変だって、知ってるよねーー
ってことも、
「わかってたけど
面倒くささが勝ってしまった〜」
と言って、
あとでアタフタしてること よくあります。
面倒くさい って感覚が
どれだけ強いんだ?
と、いつも不思議に感じます
母親ですから
生活上の大事な行動パターンを
育てる過程で
かみ砕いて教えたり、
やってみせたりしたつもりなんですけどね。
幼少期は家庭で教え、
学校に行くようになると学校でも
両方で いろいろ教育がされますが
どちらも 年齢とともに
だんだんと
うるさく言わないで
自主性に任せるようになってきますよね。
きちんと教えたつもり・・・が、
自主性に任せる年頃になって
どれくらい身についていたのかが
明らかになってきて
教えた側としては
教え方を含めて あれでよかったのか?
と我が身を振り返ることになります
目の前の相手と
普通に会話できていると
自分の当たり前の感覚を
相手と共有できているように
つい 錯覚しがちで
相手も理解してくれていると
感じてしまいがち。
教えたことを
相手がどう理解しているかとか、
自分の当たり前と
相手の当たり前の基準は違うとか
つい自分の目線で見てしまい
後でズレていたことに気づくことも
相手の 表面的な
言動のうしろ側の
その人の感じ方って
広くて深くて 目に見えないからこそ
相手をわかったつもりでいると
独りよがりになってしまいますね。
いや~
自主性に任せるって
ホント、難しくないですか
お花屋さんのミモザがキレイでした・・・
ご覧いただきありがとうございます