こんにちは
Lake です
余剰 母性について
つづきます
私の職場の 事務所のすぐそばに
小さな小さな 保育ルームがあります。
お母さんの 歯医者・美容院
その他の用事などで
一時的に子供を預かる場所です。
事務所の私のデスクは、
通路近くの 窓際にあって (窓際族です)
保育ルームに向かう 母子のやりとりや、
預けられた直後の 泣き声、話し声
お迎え後に帰る 母子のやりとりが
よく聞こえてきます。
預けられることに慣れた子や、
人見知りしない子などは
遊ぶのを楽しんでいる子も
たくさんいますが
やはり、心細くて こわくて
わんわん泣いている子、
ずっとママのことを呼んでいる子
とっても多いです。
赤ちゃんから3才くらいまでの
本当に小さい子が多いみたいで、
まだ 自分の気持ちを うまく
言葉にして伝えることもできません。
だからこそ なおさら
不安で 心細い気持ちが伝わってきて、
あぁ、今そこで
保育士さんの手が 一時的にでも足りないなら、
すぐに駆けつけて
泣いている子を 抱っこして
少しでも安心させてあげたーーーい
という気持ちが込みあげてきます。
職場では、
何でもないように装って
クールにPCに向かっている 私ですが ← 本当?
実は 内側では
私の母性が
のたうち回って 暴れています ← コワッ
だけど、
そうして いつも
不安げな子どもの様子に反応して
「なにか してあげたーーーい」
って 切ない気持ちになるのって、
今の
この子の
心細くて 震える心に
私が共鳴しているの?
それとも
幼少期の 私の淋しさが
心の奥に残っていて、それが
この子の震えと共鳴しているの?
それとも
小さい頃に 淋しい思いをさせたと
思っている我が子(とくに息子)の泣き声が
私の中によみがえって、よけいに切なくて
我が子の泣き声に反応する 私が共鳴しているの?
もはや 判別不可・・・
そんなふうに
浮かんでくることを ぼんやり考えていると、
私が何かに母性を注ぎたいというよりも、
注いだことによって 癒されたいわけだから
愛を注いで欲しいのは 私でもあるのかな。
私の母性、
今 需要が少なくて 余ってる
って思っていたけど、
ちょっと 違うのかも。
愛情を注ぐって、一方的に与えている
っていうよりも、もっと双方向のものですね。
そもそも
愛する対象があるって すごく幸せなことだし。
母性を飼い馴らす なんて
おこがましいわ。
まだまだ 未熟なワタシには