【旭川の橋と河川敷の始まりの場所!?】

~忠別川・忠別橋~

 

※長文注意 あとマニアックかもしれません

 

 

 

 

北海道旭川市は,「川のまち」や「橋のまち」と呼ばれます。

 

川の本数 166

橋の数   767   

 

市内にある川と橋の数は相当多いです!

地図を見ると,まちの中心部でいくつもの川が流れ,合流していることがわかります!

                   図 旭川市域と河川 (Google mapより作成)

 

 

旭川市はまさに,川と橋,そして河川敷と共に歩んできたまちと言っても過言はないのです!

 

そんな旭川市で初めて作られた記念すべき橋はどれなんでしょう?

 

「旭川叢書第19巻 旭川の橋」:関根正次(1991)によると次のように書いてありました。

 

「旭川市内で記録に残る最古の橋は,明治23年(1890)頃,忠別川と美瑛川の合流点より54~72mほど下流,現在の国道12号線旭川大橋より若干上流あたりにかけられた土橋であったと言われている。」

 

 

う~ん…現在はないみたいです(汗)

 

その後にはこう書いてありました。

 

「その後,明治24年(1891)に美瑛川と忠別川にそれぞれ美瑛橋(現両神橋)神楽橋(現忠別橋)が架設されたため,土橋は利用する者もなくなり朽ち果ててしまったが,これが旭川における橋の歴史の始まりであると言えよう。」

 

 

ちなみに旭川村が開基した年は明治23年であり,開村に伴い橋がかけられたことになります。

 

この2つの橋は名前を変えて今も変わらず存在しています。

さっそく忠別川に架かる,忠別橋に行ってみました!!!!

 

まず忠別川は,諸説ありますが旭川の名前の由来とされている川です。

行ってみるとこんな看板がありました。

 

 

 

 

 う~ん…良くわからない(汗)

 

 

とりあえず旭川の地名に何らかの形で関係しているようです。

 

 

あたりには素晴らしい河川敷が広がっています!!!!

 

 

 

 

とても自転車で走りやすい河川敷を進んで行くと…

 

 

忠別橋がありました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記念すべき第一号の橋です!

 

 

旭川市のゆるキャラのあさっぴーとこれから河川敷と川と橋をめぐっていきます!!!!

 

 

 

 

 

橋の上にはこんなオブジェがありました!

旭川は多くの彫刻を置いてある橋がありますが,この忠別橋が彫刻を橋に置いた最初の橋らしいです!!!

 

 

 

 

 

 

忠別橋の近くの河川敷をぶらぶらしているとこんなものがありました。

 

 

 

ここにどうやら上川神社があったようです。

 

裏の説明を要約すると,この河川敷はもともと高台となっており,開拓が始まる前はアイヌ民族の城があった場所だそうです。そこに和人がやってきて,この高台を義経台と名付け,神社が建てられた。その後明治31年に旭川駅の建設のため高台は崩されて,現在のような地形になったとのこと。

 

 

なんだかいろいろあった場所みたいですね。

 

 

そんなこの河川敷の昭和30年代の姿がこちら!!!!

 

 

ん!!!!

河川敷にがっつり家を建てて住んでる人が!!!!

 

調べて見るとここには通称「サムライ部落」という,中2病心をくすぐる名前の部落があり,昭和29年(1954)には,なんと38世帯が生活を営んでいたそうです。

 

河川敷に部落があったなんて驚きです!!

 

 

 

 

現在はイワークみないなオブジェなどがたくさん置いてある河川公園(忠別橋公園)となっております!

 

 

2002年に旭川彫刻フェスタがこの河川敷で開かれ,創作されたオブジェがところどころに飾られています!

 

おもしろそうな河川敷イベントですね!そしてイベント時だけで終わるのではなく,その後も作品を楽しめるようにしているのが興味深いところです!!

 

ぜひ忠別橋付近の河川敷に歴史を感じに来たり,お気に入りのオブジェを探しに来たりしてみてはどうですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな感じで旭川最初の橋の一つ忠別橋を紹介しました!

 

 

 

場所はここです!旭川駅からすぐ行けます!!

 

 

 

 

 

こんなに詳しく,1つ1つの河川敷や橋について説明していかないと思いますが,こんな感じでやっていこうかと思います!

 

 

宜しくお願いします!!!!