Je te veux
Je te veux お前が欲しい
カランダッシュという色鉛筆をご存知ですか?
カランダッシュは1924年、ロシア出身のフランス人画家エマニュエル・ポワレの
雅号の名を冠してスイスで創業した鉛筆メーカーだそうです。
とある文房具店のPOPによれば、
赤の発色がよく、「花を描くため」の色鉛筆だそうです。
一方画材売場で双璧をなすのがファーバーカステル。
1761年ドイツでカスパー・ファーバーが鉛筆の製造を始めたのが起源。
こちらは「森を描くこと」にこだわった色鉛筆なのだそうです。
カランダッシュの箱は赤やオレンジ、黄色など花の色彩にあふれ、
ファーバーカステルの箱は深い森の緑と蒼が印象的です。
暖かく美しい南仏の風景を描こうかな?
それとも黒い森の爽やかな夏を描こうかな?
色鉛筆一つとっても、それぞれの文化が色濃く反映されていますね。
ちなみにうちにあるのはカランダッシュのSUPRACOLOR SOFT。
それではあなたにバラを描きましょう。

カランダッシュという色鉛筆をご存知ですか?
カランダッシュは1924年、ロシア出身のフランス人画家エマニュエル・ポワレの
雅号の名を冠してスイスで創業した鉛筆メーカーだそうです。
とある文房具店のPOPによれば、
赤の発色がよく、「花を描くため」の色鉛筆だそうです。
一方画材売場で双璧をなすのがファーバーカステル。
1761年ドイツでカスパー・ファーバーが鉛筆の製造を始めたのが起源。
こちらは「森を描くこと」にこだわった色鉛筆なのだそうです。
カランダッシュの箱は赤やオレンジ、黄色など花の色彩にあふれ、
ファーバーカステルの箱は深い森の緑と蒼が印象的です。
暖かく美しい南仏の風景を描こうかな?
それとも黒い森の爽やかな夏を描こうかな?
色鉛筆一つとっても、それぞれの文化が色濃く反映されていますね。
ちなみにうちにあるのはカランダッシュのSUPRACOLOR SOFT。
それではあなたにバラを描きましょう。

「マリアのへそ」を見ました
今回ご紹介するのは「マリアのへそ」。
フィリピンはマニラのストリートで暮らす家族の日常と、
その周りで起きる事件をドキュメンタリー的に描いた物語。
よく、ストリートチルドレンは貧しいけれども、
日本で失われてしまった笑顔を持っている、とか言われる。
だから発展途上国の子どもたちは魅力的だ、と。
もちろんそれに反対する向きもあろう。
途上国の幸せなんてキレイごと。
過酷な現実があるじゃないか、と。
しかし、その現実は今はおいておこう。
この映画が子どもたちの笑顔を通して世に問いたかったことは、
幸せの概念がいかに豊饒であるかということではないか。
盗んできたリンゴを家族で平等に分け合うこと。
生活のため盗みを働こうとして怪我をした父親のための金策。
病院で父と触れ合う時間。
日常の一こま一こまが丹念に描かれていく。
車いすのターニャとアラニオの視線の交錯、
母探しのストーリー、兄妹愛、
心にさざ波が立ち、そこはかとない幸せ感、
切なさに包まれる。
この映画にはいくつかの幸せ概念が包まれているので、
ここでいくつか整理しておこうと思う。
①家族の愛。
②盗みもする、喧嘩もする、貧しい。しかしそれを悪として退ける
小市民的道徳を超えて全てを肯定する、世界に対する愛情。
③教育を得て階級の上昇を果たすという、現実的希望。
惜しいのは、これらを全て詰め込もうとして若干展開が
単調になってしまったことか。もしかすると、
インタビューを交えたドキュメンタリー形式にした方が、
スパイスが利いて単調さからは逃れられたかもしれない。
しかし、完全なドキュメンタリー形式にしてしまっては、
幸せ概念の豊饒感は失われる。ここは自分が感じるジレンマ。
ラストでは途上国の圧倒的な現実が、
ここまで延々と書かれてきた幸せを淡々と覆す。
生死が人間に近い途上国の社会では、
一人一人の人生は大きな河の流れの中で
相対化されていくものなのだろうか。
音楽の美しさ、丹念に描いた細やかな愛情表現は
とても魅力的。音楽は夢を見てるみたいですよ。
ぜひ一見をお薦めします。
フィリピンはマニラのストリートで暮らす家族の日常と、
その周りで起きる事件をドキュメンタリー的に描いた物語。
よく、ストリートチルドレンは貧しいけれども、
日本で失われてしまった笑顔を持っている、とか言われる。
だから発展途上国の子どもたちは魅力的だ、と。
もちろんそれに反対する向きもあろう。
途上国の幸せなんてキレイごと。
過酷な現実があるじゃないか、と。
しかし、その現実は今はおいておこう。
この映画が子どもたちの笑顔を通して世に問いたかったことは、
幸せの概念がいかに豊饒であるかということではないか。
盗んできたリンゴを家族で平等に分け合うこと。
生活のため盗みを働こうとして怪我をした父親のための金策。
病院で父と触れ合う時間。
日常の一こま一こまが丹念に描かれていく。
車いすのターニャとアラニオの視線の交錯、
母探しのストーリー、兄妹愛、
心にさざ波が立ち、そこはかとない幸せ感、
切なさに包まれる。
この映画にはいくつかの幸せ概念が包まれているので、
ここでいくつか整理しておこうと思う。
①家族の愛。
②盗みもする、喧嘩もする、貧しい。しかしそれを悪として退ける
小市民的道徳を超えて全てを肯定する、世界に対する愛情。
③教育を得て階級の上昇を果たすという、現実的希望。
惜しいのは、これらを全て詰め込もうとして若干展開が
単調になってしまったことか。もしかすると、
インタビューを交えたドキュメンタリー形式にした方が、
スパイスが利いて単調さからは逃れられたかもしれない。
しかし、完全なドキュメンタリー形式にしてしまっては、
幸せ概念の豊饒感は失われる。ここは自分が感じるジレンマ。
ラストでは途上国の圧倒的な現実が、
ここまで延々と書かれてきた幸せを淡々と覆す。
生死が人間に近い途上国の社会では、
一人一人の人生は大きな河の流れの中で
相対化されていくものなのだろうか。
音楽の美しさ、丹念に描いた細やかな愛情表現は
とても魅力的。音楽は夢を見てるみたいですよ。
ぜひ一見をお薦めします。
ノマドワーキング

ノマドワーキングという言葉がある。
ノマドとは遊牧民の意味。
iPhoneやら無線LANやらが高度に発達した現代では、
仕事をするためにオフィスという場所に
とらわれる必要はない。
すべてのファイルはネットワーク上にあるから、
回線につなげればどこでも仕事ができる。
これを遊牧民にたとえた言葉。
公園と小さなSOHOオフィスで仕事がしたい。
いつも愛する人の顔を見ながら仕事ができますからねぇ。
というわけで、実現に向けて粛々と動いております。
仕事道具としてはMac Book Airがほしいです。
ノマドとは遊牧民の意味。
iPhoneやら無線LANやらが高度に発達した現代では、
仕事をするためにオフィスという場所に
とらわれる必要はない。
すべてのファイルはネットワーク上にあるから、
回線につなげればどこでも仕事ができる。
これを遊牧民にたとえた言葉。
公園と小さなSOHOオフィスで仕事がしたい。
いつも愛する人の顔を見ながら仕事ができますからねぇ。
というわけで、実現に向けて粛々と動いております。
仕事道具としてはMac Book Airがほしいです。

