マクロビオティック☆コーヒーこんにちは☆無塩菜食や半断食道場を2年ほど経験して動物性を完全にやめてみたものの、アメリカにいってから、バランスをとるためにもとにもどしました。それでも、カラダは変化していたのでいろんなところで、気を付けています。紅茶派ですけれど、コーヒーとかはやはり強いのでたんぽぽのコーヒーとかおすすめです。ちょっと味がちがうかな、と正直おもいますがコーヒーより紅茶が好きなひとがコーヒー飲むならありかなと。そんなわけで、たんぽぽコーヒー☆試してみる価値ありです♪
完璧主義を手放すということ小さいころから 完璧主義な一面があって中学生のときの 二者面談で担任の先生にいわれたときが初めて 自分で自覚したときだったとおもう。これまでのことをおもうとどこか完璧を求めていたがゆえの苦しみがとても多くて われながら 驚いた。笑いつも成長していたくて理想どおりになりたかったしそうじゃないとだめなきがした。でもそれは自分の興味のある分野だけでのことなのだけれども。結局わかったことはもっと ちからをぬいていいんだよ。ということだった。人間関係で いろんな経験をしてきたけれど理想や完璧を求めたことから生まれたシチュエーションはきっと 普通では体験できないようなこともいっぱいあった。だから 無駄なわけじゃないし とても濃厚な時間を過ごしたんだとおもう。それでも おもうのはずっとそのままじゃ 私はどこにもたどり着かない。ということだった。だから 手放そう、とおもえた今はとても 自然で そしてもっと 安心しているようにおもう。そんなふうにしているとそんな出来事や 人に出逢い私は これまでのどんなゴージャスで美しい経験よりも幸せだと感じている。それは ありのままの私であってそして そのままの世界を愛していることでもありなんだか とても 満たされるのでした。完璧とはなんだろう。そんなことも 考えてみるけれどなにかになろうとしなくてもいいのだということなんじゃないかなとふと おもうのです。対相手とのやりとりも自分の思い通りじゃなかったり理想どおりじゃなかったとしてもそれはそれで いいのだとおもえるようになったらなんだ、不安になる必要はないんだなってすこし わかってきた気がする。それを教えてくれるために出逢ったのかもしれない。取引の世界ではなく愛の世界へやってこれたのかなと 最近感じている。それはとても 私を幸せな気持ちにする。だってずっと ここにきたかったのだから。
岐阜の魔術師 岐阜県の関市にある とある スーパー魔術師かのような すごい治療をしてくださる おじいちゃん先生がいる。 初めていったのは 今年の10月。 私の親友が 岐阜市なこともあり 紹介してもらった場所。 なんていうカテゴリーになるのか わかりづらいのだけれど 整体のような 気功施術のような エネルギーがキーワードなのは まちがいない。w 5人くらい、ほかにも先生がいて ほぼ、女性だったかなぁ。男性も少しいる。 ベットが 5つ ならんでいて しきりなし。(^o^;) でも 気にならない。w とても いいエネルギーが 流れていることが わかる。 私も、レイキを取得したりしているのと ヒーリングやリーディングなども やっていたこともあって 違和感なく なじめた。 マッサージのようなこともしてくれるけれど 最後は、そのおじいちゃん先生がみてくれて 終わる。 私は 2つ、治したい場所があって みてもらった。 どちらも 一回じゃ難しいだろうなっていうもので ひとつは、生まれつきのもの、 もうひとつは、最近できたもの。 おどろいたぁ。。。 自分でも自覚できるくらい痛みがあったのに なくなってしまった。 そして 生まれつきのも 原因まで わかり 前回よりも 少し強くなってきていることも 教えてくれた。 生まれつきのは 耳なんだけど 耳だけが 原因じゃないことにも おどろいた。 確認しようがないけれど すっきりして 身体が すぅーーって 流れるようにクリアになる感覚と 本当に 楽になるのだ。 だから 信じてしまう。 おじいちゃん先生は てきとーなことも たまにいうけど 笑 とても まっすぐと背筋がのびていて お肌も つるぴか。 「治るよ」 と、明るくいってくれるおじいちゃん。 安心するし こういうのが 一番大事だなぁって おもう。 病院とかいくと きる、とか 入院とか、薬のむ、とか 処置はするけれど 結果 本当にいいのか?と 疑問がある。 だから 私は 医者だからって なんでも信じたりしないほうだ。 東洋も西洋医学も どちらも すばらしいとおもうけれど 自分の感覚を信じよう、と 思っている。 とても素敵な岐阜のおじいちゃん! ありがとう☆(*゜▽゜ノノ゛☆
停止状態? 最近、 自分の状態が 以前と違うみたいで 理解できないことが よくある。 動き出せば きっと 元通りになるんだろうけれど 前に感じていたものが 違うように 感じたり 楽しかったことも ちがくなっていたり 人に対しても どこか 距離を置いていたり。 自分に余裕があったんだなって おもう。 あと かんがえないで つっぱしってきたんだなって 気づく。 夢や理想を 追いかけて 本当に 現実化して 完璧に 体験したあとに その先の未来のことや もっと 先のことを イメージしてなかったことに 気づく。 ある意味 かなり 強引に 物事は 進んで ありがたいくらいに 恵まれて 好きな世界に いた でも 幸せだったのかと きかれると わからない と おもう。 もがいてたし 苦しいこともいっぱいあって 理解できないことだらけで 自分の価値観ぜんぶ ひっくりかえして 考えて 受け入れていかなければ 進んでいけなかったし 自分が得意とするやり方も 正しいとおもってきたことも 自分自身の身体についてさえ 自分には どうしようもなく 受け入れて 合わせていく作業を し続けた。 いままで 積み重ねてきたものが まるで いっきに くずされて もっかい つみなおしてね、と いわれるような感覚。 それでも 言葉も 文化も 感覚も 反応の仕方や 表現の仕方も すべて いわれたあとには 少なくても 次の日には 直し そして そのとおりにしてきた 同じ失敗は 二回繰り返さないようにしたし 間違えてもいいから やってみることにした プライドも 自分らしさも そこには なかったかもしれないけれど そこまでしたのは 知りたかったから。 自分の殻を 抜け出せる機会なんだと おもって 自分を 磨くことなんだと 信じた これが 間違っていても いなくても やるしかないと おもい 葛藤は すごくあったけれど 拒否は しなかった どこか 心の隅で それを 嫌ってた自分もいた いやなのに、って たすけて。って いってる自分もいた。 私には それを きいてあげるだけの余裕は なかった 聴いたら 見たら 動けなくなるって 知っていた それでも 進んでいたかった どうしてだろう まわりに どう思われても 100人いたら 100人 逃げ出すねって いわれても わたしには とても 大事なことのように 思えてた 誰かに 理解をしてもらえなくてもいい この苦しみを 吐き出す場所だけ あるなら 耐えていけるんじゃないかって そう おもってた 幸せだったのか と きかれても わからない でも 私のからだは 健康になったし どんな人種でも 文化の人間でも 英語でも 日本語でも なんでも 自分は 受け入れながら 自分を持ち続けることの 大切さを 身に着けたように おもう 違うことが 当たり前の場所で 自分が 好きなのか 嫌いなのかを 表現し それを ひとつの意見として 受け止める 相手が 嫌いだから、ではなく 違うだけなのだと 知る 正直いえば 二度と 経験したくない。笑 深呼吸できる この日本にいれるほうが 幸せで 美味しいものがあって 美しい心もあって 似た価値観を もち 自由もある 自分で いきたいときに いきたい場所にいけて 創り出すチャンスも 与えられている 違うことを 避けられるところもあるけれど それも 違いなのだと 受け入れる どちらが 正しいわけでも いいわけでもなくて 自分にとって 幸せだと 感じれるのなら それでいいじゃないかと おもえるようになった。 アメリカ生活は まわりのひとが 私のことを もし客観的に 映画のようにみたら すごく 幸せで 恵まれた環境の中で 自分の夢の仕事をして 豊かな人々と ともに生活をする、 そんな 美しいストーリーに みえるんだと 思う。 感じる私自身にしか わからないことのほうが 多いことも 仕方がないとおもっている どれだけ 伝えても 経験しないかぎり わかるのは難しいし この経験は 誰しもが しようとおもっても できることではないとおもう そういう意味で とても 恵まれたのだとおもうし とても 苦しかったことでもあった 今 私は 止まっている。 そう 感じてる。 また 動き出すことも 知ってる。 でも あのまま 止まらずに 進んでいたら 調教された犬みたいに 自分らしさが なくなっていたかもしれない その代わり 富を得て ステイタスも よかったのかもしれないけれど どちらが 幸せなのだろうと おもうと 私は きっと 今の状態なんだとおもう。 こんなふうに 休憩したかったんだと おもう。 身体に無理をさせてきた 結果が でてしまったし それと ちゃんと 向き合おうとおもう。 整理整頓したくて 書いてみた。 来月から また 東京で 活動だから 動き出すまえに 止まっている自分を 書いてみたかったのかもしれない。
新しいひとと ここ数年、新しいひとと かかわることは 日常茶飯事だったけれど 個人的に、と 考えると どうやら少ない?と 気づく。 仕事で かかわるのは とてもなれているけれど 個人的に新しくかかわるのって 仕事経由じゃない場合って 少ないのかも。。。? それで、 仕事まったく関係なく 知り合ったひとと メールをするときに どう書いたらいいのか よくわからなくなった自分がいた。笑 距離感もよくわからないし どの程度かいていいのかも よくわからない。 でも 好意がなければ メールがくるわけじゃないだろうし 普通にかけばいいんだろうけれど 普通ってなんだ?と 思い始めた。笑 メールに絵文字いれすぎちゃだめなような 言葉遣いかたすぎても だめなような 自分のこと かきすぎても だめなような どうしたいかも よくわからない場合 もっとわからないような? お友達が 新しくできるときって 小さいころとはちがって たいてい 仕事関係だったり なにかしら そういうものがあるんだよね、大人になると。 相手も ある程度 人生を生きてきているわけだから できあがってきているなにかも ありーの むずかしく 考えても仕方ないんだけど わっかんないなーー。。。(;´▽`A`` っていう 感覚が 久しぶりにあって かきたくなりました。 こういうのって なんだろうね。 ある意味 システム化された 思考があるんだなって おもった。 対応できない もしくは 忘れている場合 こうなるんでしょうね。