どうも、のあれ です。
いつも日本や歴史に関する記事が多いのですが、
少しずつ私の韓国留学体験で感じたこと等も綴っていこうかな?と思います。
え、そもそも のあれは留学経験あったんか?!
となる方もいらっしゃるかもですね
(笑)
私がなぜ韓国語専攻したのか・・・などは、
過去記事をご参照いただければと思うのですが![]()
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仕事もなんでもそうですが、
始める前は良いイメージで溢れていても、
実際に体験してみると現実は違っていた・・・
という事って多々ありますよね。
私もまさに韓国語がそれでした
(笑)
だから
専門分野と全く違う方向に転職したいという人の気持ち、よくわかります。
私の場合は、もう後戻りできないとこまで進んでしまっていたので、
仕方なく極めるしかないな・・・と決断しただけです![]()
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韓国に対して、
皆さんはどんなイメージをお持ちですか
?
同世代の知人に聞いてみると、だいたいが
「アイドルかっこいい」「韓国男性って優しいんやろ?」と、
韓流にかなり影響を受けているような印象です。
逆に、慰安婦問題や竹島についてなどは
韓国とはまた違う国のお話・・・というほど話題に出てきません(笑)
日本に留学できている韓国人と日本語で接することはあっても、
実際に現地で韓国語で韓国人と討論したりする体験はあまりないですよね![]()
因みに私は学生時代、日本人が韓国旅行でソウルに来ているところで、
ガイドの中年韓国男性が韓国語でめちゃ日本人の愚痴を言っているのを
この耳でしっかり聞いたことがあります(笑)
点呼とるときには韓国語で
「返事しろよ、アホの日本人ども」
って言ってました![]()
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韓国語分からない日本人たちはニコニコ話してましたが・・・
私はこの時、絶句して言葉が出てこなかったのを覚えています![]()
というか、自分が耳にした言葉が聞き間違いであってほしいと
どこか祈るような気持ちでした・・・![]()
当時はまだペーペーの学生だったんで何も抗議できませんでしたが・・・
いまなら「おい待てい!」と叫んでいるに違いありません・・・
(笑)
まぁいろいろありまして・・・
私が留学で身につけた特技のひとつが、
韓国人のヤバい人を瞬時に見分けることです(笑)
これは、日本に帰ってきて就職した後も役立ちました(笑)
また機会があれば笑い話ぽく綴っていけたらなぁと思います・・・
ここまで読んでいただきありがとうございました![]()
のあれ![]()
どうも、のあれ です。
前回記事へのコメント誠にありがとうございます![]()
共感してくださる方がたくさんいらっしゃって、本当に嬉しいです。
メディアでは眞子内親王殿下とKKの結婚について
「一途な愛が実った」と、
さも純情物語のように評価したりしてますが・・・
そこで今回は、
私が共感する本当の一途な愛の話?をご紹介したいと思います![]()
有名かもしれませんが、私がとても感動したお話が・・・
宇喜多秀家と豪姫の愛情物語です!
知ってる方はスルーしてください(笑)
戦国武将の宇喜多秀家とその妻の豪姫。
豪姫は豊臣秀吉の養女で、
実子ではないものの、秀吉・ねね夫妻に大切に育てられたそうです。
縁談話が数多くあったそうですが、
秀吉が豪姫の婿に選んだのは宇喜多秀家でした。
天下をとる前に秀吉は、宇喜多直家のもとに滞在しており、
そのとき死期の近かった当主直家は、
自分の死後、息子の秀家(当時10歳)を頼むと秀吉に懇願したそうです。
秀吉は、この時の約束を果たし秀家を常に近くにおいて
我が子同然に可愛がったといいます。
秀家も自身のそんな境遇をよく理解しており、
秀吉に常に感謝し健気に振る舞っていました。
ちなみに秀家は、
品のある顔立ちで、武芸や学問、和歌や舞など
どれをとっても素晴らしかったそうです![]()
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現代でも相当モテたでしょうね~~~![]()
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秀家と豪姫は政略結婚ではありましたが、
互いに深く愛し合っていたとのこと。
秀家は側室を置かずに豪姫だけを愛し続けたそうです![]()
しかーーーし。
そんな幸せもつかの間。
秀吉の死後、関ケ原の戦いで敗戦した秀家は
八丈島へ島流しの刑にあってしまいます。
秀家は息子二人と、身の回りの世話をする数名の家臣とともに
八丈島へ渡りますが、このとき豪姫がついていくことは許されませんでした。
当時の島流しって本当に厳しかったんですね・・・![]()
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これを機に家族は離れ離れ。
豪姫は娘を連れて、実家の加賀前田家に身を寄せ、
貧窮にあえぐ秀家と息子たちに仕送りをし助け続けたそうです。
※豪姫の菩提寺である金沢の大蓮寺には、
彼女が毎日大切に拝んでいた仏像が安置されており、
この仏像が収まっている木箱の錠は、船の形をしています。
これは、八丈島へと向かう仕送りの船を表しているといわれています。
20代後半で夫や息子と引き裂かれた豪姫は、
60歳で亡くなるまで、再婚話もすべて断ってただひたすら
八丈島にいる家族の無事を祈りながら再会できる日を信じて暮らしたそうです。
そんな願いもむなしく
生涯家族の再会は叶いませんでした・・・
なんて悲しい話なんでしょうか・・・![]()
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秀家は八丈島で50年近く生きながらえ、83歳で亡くなったそうです。
結局、徳川家が崩壊し明治2年(1869)になってようやく、
宇喜多家の流罪が260年ぶりに解かれました。
260年て・・・恐ろしい![]()
だが、このあと更なる感動話が。
明治3年、八丈島に前田家が船を送りました。
その船に乗って、宇喜多一族は八丈島を離れます。
なんと、前田家は八丈島から東京に引き揚げた宇喜多一族に
住む屋敷を用意し、生活費のすべてを負担したそうです。
実は、豪姫が亡くなり秀家が亡くなった後も、
前田家からの仕送りは途切れることなく続いていたのです。
260年もの間ずっと・・・て凄すぎます![]()
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しかも、この仕送りされた物資を宇喜多家は自分達だけで使わず、
惜しげもなく島民に分け与えていたといいます。
因みに、自分達の先祖も救ってもらったと
豪姫のお墓(大蓮寺)を訪れる八丈島の島民が未だにいるとのこと。
いかがだったでしょうか?
豪姫のお話は映画などにもなっているそうですが、
私はまだ映画は観たことがありません。
私は、この愛情物語に大変感動いたしました![]()
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(いつか金沢の大蓮寺にも直接行ってみたいです)
一途な愛というのは、決して夫婦二人だけの話ではない。
こうやって人の愛というものは広がって、
自分の家族、親族、身近な大切な人たちへとどんどん派生していくんですね。
二人だけの愛であれば、自分達だけで終わってしまいます。
本当の一途な愛というのは、
時代を越えてずーーーっと続いていくものだと思います。
これが本当の日本の愛情物語
ではないでしょうか
?
眞子内親王殿下とKKの愛は、
これとは全く別物だと思うんですよねぇ・・・
(笑)
ここまで読んでいただきありがとうございました![]()
のあれ![]()












