☆皇紀二六八五年

(西暦2025年、平成三七年、昭和百年、大正百十四年、明治百五十八年)

令和七年十二月七日(日)

こんばんは。。

 

いつも私の拙ブログに、いいね!や心温まるコメントを賜り感謝申し上げます。

今日も先人の偉業に感謝をし、誇りをもって充実した一日をお過ごしください。

 

 

 

 

2011年3月11日、午後2時46分。

 

日本中を震撼させたその揺れは、

宮城県南三陸町の防災対策庁舎にも襲いかかった。

職員たちは必死に机にしがみつき、

激しい揺れが収まるのを待つのが精一杯だった。

しかし、本当の恐怖は、その直後にやってくる。

 

「6メートルの津波が来ます!」

 

防災無線担当の遠藤未希さん(当時24歳)は、

その情報を聞くや否や、放送室へと駆け込んだ。

彼女の頭にあったのは、ただ一つ。

 

「一人でも多くの町民を救わなければ」。

 

 

「こちらは防災みなみさんりくです。

大津波警報が発令されました。

海岸付近の方は、直ちに高台に避難してください!」

 

彼女の凛とした声が、町中に響き渡る。

しかし、津波の高さは当初の予想を遥かに超え、

10メートルという絶望的な数字に更新された。

それでも彼女は、マイクを握る手を緩めなかった。

 

「異常な潮の引き方です!

早く、早く高台に逃げてください!」

 

声は次第に切迫し、悲鳴のようになっていく。

黒い津波が、庁舎のすぐそこまで迫っていた。

同僚たちが

「未希ちゃん、早く逃げろ!」

 

 

と叫ぶ中、屋上へと避難する職員は30人ほどいた。

彼女もその中にいる、誰もがそう信じていた。

しかし、彼女は逃げなかった。

津波が庁舎を飲み込む、その最後の瞬間まで。

 

「高台に、避難してください!」

 

その命がけの呼びかけは、瓦礫の轟音と共に途絶えた。

後に、屋上で生き残った10人の職員の中に、彼女の姿はなかった。

数日後、変わり果てた姿で発見された彼女の左足首には、

前年に結婚したばかりの夫からもらったミサンガが、

固く結ばれていたという。

 

 

 

「あの放送がなければ、今頃自分は生きていない」。

 

 

彼女の声に導かれて高台に逃げ、

九死に一生を得た町民は数知れない。

自らの命と引き換えに、

最後まで町民の避難を呼びかけ続けた遠藤未希さん。

彼女のその声は、多くの人々の命を救い、そして、

永遠の希望の光なのである。

 

 

 

 

 

この災害に際しまして、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、ご遺族の皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。

また、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

1日も早い安心の暮らしの蘇りに結ばれますよう祈念致します。  合掌