フィリピン留学日記

フィリピン留学日記

留学日記です。学術記事ではないので、もし間違い等あったら教えていただけると嬉しいです。何が知りたい、とかご要望もあればどうぞ。日記なので答えられるかわかりませんが。

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8.2 今日は授業の履修登録だった。アテネオの履修登録は非常に複雑で理解するのが難しかった。そうそう、昨日はその説明とウェルカムディナーがあったな。昨日は疲れて日記を書かなかった。それより今日は、現地の学生二人と日本人二人で晩御飯。牛のバーベキューみたいなものと、ライスのセット147ペソ!(300円強)デザートにと、ハロハロも食べた。ハロハロとはフィリピン語で「混ぜ混ぜ」ちょっと甘すぎるかもだが、美味しい。…状況のレポートはこの辺にしておいて、いつもの日記に戻ろう。

不思議なのは、言葉についてである。フィリピン人は基本的にバイリンガルである。フィリピン語と英語。これはすごいことで、ほとんどが英語を話さない日本人としては尊敬するばかりである。フィリピン人は公教育のはじめから英語、フィリピン語を両方学ぶ。これはアメリカの植民地時代の影響だが、インド同様、共通言語としての英語が根付いたことは植民地政策の数少ない正の側面と言えるかもしれない。これによって一時はフィリピンを東南アジアの希望の星とみなした見方もあったほどだ。

実際のところ、英語使用国というブランドは大きい。例えばビジネスの世界では、我々日本人の英語ができないことは大きなハンデとして認識されるだろう。あるいは個人的にできたとしても英語話者はそもそも英語学習にかける多大な時間と費用を必要としないため、物理的な差は当然ある。もちろん事態はもっと複雑であるから、英語学習過程における多様性認識や外国語学習の経験を得られることなどについては言及しないでおこう。しかし直接なものを見ても、英語圏としての利益はある。例えば近年、フィリピンは英語学習の場として日本人に非常に人気である。これはもちろん貴重な外貨獲得手段となりうる。

話を戻そう。私はフィリピン人のバイリンガルであることが、不思議でもあり尊敬する。公教育は大学に至るまで英語で行われる。だとするならば、これほどまでに日常に浸透しているフィリピン語の存在が不思議だ。それはいかにしてフィリピンの日常語として生き抜いているのか。どうして英語にその場を取って代わられないのか。それがかつて希望を託されたフィリピンの経済発展を妨げた一因であるのか。疑問が尽きない。