まだ見ぬ始まりの先へ。
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フェーズ -続-


若い頃の自分と今の自分のベクトルは

違う方向に向いている。


きっと別人くらいに。


昔の自分を俯瞰して観れてしまうということは

もう今の自分はそこから離れ

て別物として生きているということ。


今の私には昔のような苦しみも皆無だし、

なんだったんだろうね、別人。笑


あんなに悩んで考えてってしてた日々も

遠い記憶のなかで。


…何をそんなに

考えてたのかも思い出せないほど。



その時にインプットしまくっていただろう事も

全て忘れ去っているのだから。

ま、腑に落とせたってことにしておこう。笑



それもきっと、自信のない自分

足りない自分を守るために

塗り固めてきた知識、鎧だった。


今はそれを全て捨て去ったそのままの自分で

生きれるようになったから。


経験値というのは何よりも強い。

ただの知識なんかより何百倍も役に立つ。


若かったけど悩みが絶えなかったあの頃と

歳はとったけど自分自身に悩みがない今では、

今の方が断然生きやすくなったし楽しい。



ベクトルが、自分自身から自分以外に向いたから。


助かりたいから助けたいに、

自分を守りたいから人を守りたいに。


フェーズが変わったんだろうな。

次の段階に入った。


人間、諦めずに生きてみるもんだな。


生きれば生きるほど楽になってくなんて

信じられなかったあの頃。


この苦しみがずっとこの先も続いていくのかと

思って絶望しかなかったあの頃。


生きやすくなってるなんて、

想像もできなかったよね。


言ってあげたい。

その苦しみはずっとは続かなくて

知らぬ間にその苦しみは終わっていたよと。


そんなこと忘れるくらいに

自分は変わっているよと。笑


本来の自分で生きるまでに

遠回りして迷いに迷って

自分を嫌いになって、

要らないものを身につけて

結局幻想だったと壊して…


その過程がなければ、

本来の自分で生きることもできなかった。


だから無駄ではないし、

それがあって今の私がいる。


それでいい、なんの後悔もない。

本来の自分をすきになれれば

それ以上に必要とするものはない、無敵。

全てはそこに通ずる。


フェーズ。




私はずっと、自分の内側で

完結していればいいと思っていた。


それだけで事足りてて、

他のものは必要ないし疲れるから

必要以上に外側と繋がることはないと。


でも、外側と繋がることでしか

得られないものがあるんだと最近気づき始めた。


自分だけでは頭打ちだったことが

いろんな人との出会い、意思疎通によって

壁が崩され、打開されていく。


…そんなことを最近とても感じていて。


自分が知り得ないもの、

自分には無い物事に対する考え方、

自分とは違う思考回路、世界の見え方、

自分にはない世界を人は見せてくれる。


それがとても刺激になって、変わり映えしない

自分の世界観に変化をもたらしてくれる。


私は新しいものを取り入れていくということが

とても億劫だったし、疲れることでもあって

消極的だった。


でも最近になって、

なぜだかそういったことに

前向きになってきている気がしてる。


それはやっぱり、

自分の内側ではなく外側からの働きかけであって

周りの環境があってのことだと感じている。



…歳をとったのもあるかな。

周りの人達が自分より

若い人ばかりになってきて、


人に対する敵対心や猜疑心が

勝ってた若い頃と違って

かわいいなぁーとしか思わなくなって、

人に理解されたい→人を理解したいになって

助けてほしい→助けてあげたいになった。


だからかな、世界が変わってきたのは。

心持ちが変わってきたというか。


能動的にやってたことを

積極的にできるようになると、

同じ事でも楽しく疲れなくできたりして。


心持ちだけで同じ物事が

こんなにも違うものになるんだ…って

とても腑に落ちたというか。



そして、自分の心持ちは

周りにも伝染していくということ。

良くも悪くもなんらかの影響を与えていて


そして自分が投げかけたものが

鏡のように自分へと返ってくる。



自分が理想とする場所へ行きたいと

思うのではなくて、今いるこの場所を

自分が理想とする場所にしてしまえばいい。



自分に軸を持ち、自分の中に理想を持てば

どこかに探しに行くような必要もない。



ずっと昔から自分のことが嫌いだった。

嫌いだったから自分以外の場所に何かを探した。


でも、最近になって気づいた。

私は自分のことが嫌いじゃなくなっていた。


…いつからかはわからない。

でも、つい最近な気はしてる。


何がきっかけかとかは分からない。

でも確かに、自分のことが嫌いだなんて

感情はなくなっている。


…やっぱり歳をとったからか?笑


よく「歳とったらそんなこと

どうでも良くなるから。」って

言われたなぁーとか思って。


年の功というか、いろんな経験をして

いろんな人達と出会っていろんなことが

わかるようになってくると、生きるのなんて

なんでもありだなって思えてくる。


そんな中で自分が嫌いだとか、

誰かに対して絶対に許せないとか、

過去のことから抜け出せないとか、

そんなことに時間使ってるのもったいないなって。


若かりし頃、

「そんなことで泣いてたら生きていけないよ。

もっとこの先泣きたくなる事なんて

いっぱいあるんだから。」って


人生の大先輩に言われて、

その頃はどうせ解ってくれないとか

思ってたけど、そうじゃないんだよね。


本当に、その通りだった。笑



大根役者2。


私はいつだって

そういう人に助けられて生きてきた。

なのに私はいつだって

わがままで自分勝手なままだ。


なぜそこから学ばないのか。


学ばないわけではなくて

もう、根っこから違うものなんだと

そう思わざるを得ない。


私はそうなれない。

優しい人間になろうとする

冷たい人間でしかない。



それはただの自己犠牲じゃないのか?

それは自分を生きることから

逃避しているだけじゃないのか?

それは自己満足の為なんじゃないのか?


…なんて意地悪な、自分。

性善説なんて無いと思ってる。


どうあがいてみたって

化けの皮は剥がれる。


どんなに取り繕ってみても

どんなにそうなろうと努力しても

どんなにそうなれたように見えても


結局は、偽物で。



自分に嘘をついて自分以外を生きることは

自然なことじゃないから疲れてしまう。


でも、その自分で生き続けなければ

今まで築き上げてきたものは壊れてしまう。



…そんなこんなで、疲れてしまって

虚無になるんでしょうね。


あーどうでもいいわ。って。

自分に対して皮肉だなって

いじわるに笑ってしまう。


すべてに飽きてしまうんだろうね。

だからどうでもよくなる。

暇があれば、そんなこと考える。

そんなもんだから。


だから、深刻にもならないし

時間と共に過ぎていってまた埋もれていくし

それが過ぎるまで考え過ぎないことだな。

そんなものを心理学やら哲学やら

いろんなものに当てはめたりして

ひたすら考え続けていたあの頃には

戻れそうにありません。


なぜなら、そんなところに答えはないから。


単純に、バランスを崩しているだけ。

生活習慣が乱れただけだ。


…ね、冷めてるでしょ。笑


もう、生きてるだけで偉いと言ってくれ。


興味とか関心とか感情とか、

無理にもつ必要などないと。


そんなものはただのオプションで

標準仕様には入ってませんよと。


それが、今の私の本音です。


毎日なにかしら素敵なことは起こるでしょう。

私はその瞬間それを

当たり前のように喜ばしく受け取る。


その自分は嘘ではない。

その瞬間も嘘ではない。


…都合良く人は生きてるものだから。

真実が嘘にもなるし、嘘が真実にもなる。


そんなことを繰り返しながら。


でも、深く考えて

そこで立ち止まってしまうと

抜け出せなくなるから


今の自分に都合良く

受け流しながら生きていく。


こんなこと考えていても明日には忘れて

優しい人間になろうとするんだから。笑


なんにも考えてませんよって顔しながら。

なんにも考えない自分になって

1日を過ごしているんだから。


人生は舞台だから。

ただ演じてるだけ。


そう思えば、自分に矛盾があろうと

どんな自分であろうと

受け入れていけるんじゃないか。


そう思ったりして。

まあいっか、いつかは過ぎ去る。



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