最近「かといって、過去だの生まれる前の記憶だの使命だのに捕われなくても良いよなあ。別に」とも思う。
生まれる時に役割やら使命やら目的を選び、持って来てはいるんだろうけど、いざこっち来たらサボっちゃったり怠けたりする魂も多い、気がするし。
あと、途中で設定を変えるとか
高邁な理想掲げて生まれてきたものの、途中で脱落したり堕落したり
そうゆう「自由」も持っている気がする。
で、向こう帰って「てへぺろ」って顔するんだ。きっと。
肉(体)のすごさは、「実感を伴っている」
これに尽きると思う。
たとえば、「梅干し」と書かれた紙がある。
読むと想像するので、つい口の中に唾液出たりする。
これは「イメージのパワー」で、これはこれですごいんだけど、
「梅干し」って書かれた紙の下に、近江牛のステーキが隠されていたらどうか?
目では「梅干し」とゆう字面を読んでいて梅干しをイメージするかもしれないんだけど、
その下からじゅうじゅうとゆう肉汁のはじける音と、脂身が焼ける香ばしい匂いが漂ってきたら、口の中は間違いなく「牛モード」になると思う。
身体を持っていて、五感があって、触覚があって、欲がある。
肉を持つ魅力(魔力?)って、ここだと思う。
そして、やっぱりわたしは、せっかく地球上に生まれた来た以上、この「肉を使った喜びを堪能」しないと、もったいないと思う。
産まれる前の記憶?を思い出してから、浮かんできた世界なんだけど
あっちの世界は個々が光みたいな存在で、会話も頭に響いてくるような感じだった。
みんなが仲良くて、満たされていて、悪意とかまったくなく、ものすごく調和がとれていて平和な世界。
しかし、だから変化がないの。
「満ち足りている」ということは居心地良いけど、それで完成してしまっているから、それより成長や拡大がない。
おなかが空かないから、「食べたい」という欲求もないし、(でも食べてもいいんだけど。りんごとか)
何だろう…「ひもじくてせつなくて、おなかすいた~…ってしょぼーんとする空腹感」と「それが満たされた喜び!!美味しくて、しあわせ!!!な満足感」のコントラストを経験できない、とか。
いじめとかないから、人間関係の辛さと、人にやさしくしてもらったときの安心感 も経験できないとか。(おなじレベルの魂同士が一緒にいるから、いじめたりとか嫉妬したりとか「比較」するようなことが起こらない)
たぶん、こっちで「自分が設定した使命」を果たせなかったり、途中で変更しても責められるような雰囲気じゃない、と思う。
「ありゃ~、無理だったか~。ま、しかたないね(笑)」みたいな。
「経験できなかった」ということも、シェアすべき経験になる。
スピリチュアル界では「高次の存在」と対比して、地球の次元を「低い」て称してること多いけど、あっちの世界では地球の生命体が経験できる、この「実感を伴うリアルさ」「パワーの強さ」に一目置いているような気がしたんだけどなあ。。。
アミューズメントパーク的な…?
面白がってる、とゆーか。
単にアタシの居たグループがレベル低かったのかも知らんけど。
(しかもアタシはその中でもへたれな方だった)
だから何が言いたいのかよくわからんが、たぶん眼の色変えてストイックに生きなくても、「上もよし、下もよし、真ん中もよろし」みたいな、
いろいろ感じて味わってやるぜ!!ヤになったら、ばんばん設定変更してもOK!!
くらいなぬるい感じで人生やっていったらいんじゃないかな~?と。
そう思う。