星野道夫が好きです。
写真もいいけれど、
「星野道夫のことば」がとてもとても好きです。

富良野で暮らしてた時の気持ちと重なって共感する事もあるし、

たまに思い出して心の糧にする言葉もあります。

 

先日、星野道夫の写真展「悠久の時を旅する」に行ってきました。

 

 

 

私がよく思い出して、なんとなく一瞬立ち止まるのは、このフレーズです。

 

『旅をする木』の中の、『もうひとつの時間』という章

東京で忙しく働く友人が時間を作って1週間アラスカに来て、星野道夫と共に大自然の中で時を過ごし、ある日の夕暮ザトウクジラの群れに出会います。

後日、東京に帰った彼女はこのように言っています。

東京での仕事は忙しかったけど、本当にアカスカ行ってよかった。私が東京で慌ただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかしてアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない。それを知れたこと...

(中略)

そして、最後の一文

ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。

 

私も、東京で働く彼女の状況が身につまるほど分かるからこそ、

(今はガッツリ働いていた時ほど忙しくないけれど、日本において仕事や家事や子育てしながら生きてるだけで、みんな共感できることだと思います)

このたった数行の文章が、とてもとても心に残っていて、

なぜか、朽ち果てたトーテムポールの写真と一緒によく思い浮かべます。

 

星野道夫の写真の中では、

かわいらしい真っ白なホッキョクグマとか、動物の親子とか、

荒々しいムースやグリズリーの群れよりも、

 

シーーーンとした音のない世界を想像させる、苔むした原生林の風景や、

水面の波紋ですら聞こえてきそうな、海面の写真に惹かれます。

 

今日も私は、パソコンに向かってHTMLなんぞをタイピングしています。

 

今頃、スカン・グワイにひっそりと存在するじっくり朽ちていくトーテムポールや、

アラスカのワタリガラスの塔や、

日本を向いて立っている星野道夫のためのトーテムポールの周りでは、

どんな時間が流れて、

どんな音が響いているのでしょうか?

どんな静寂が訪れているでしょうか?

 

心の片隅でその風景を思い浮かべます。