*母の記録*
2015年2月25日
<day+259>
再びエレンタール挑戦。
今度はグレープフルーツ味をゼリーにしてみましたが、やはりどうしても口にすることはできませんでした。
今日から便の計測を止めることになりました。
重症度を測るものなので、明らかに増えてきた場合は再度計測するとの事でした。
師長からまた夜は自宅に帰ったら? と言われ明日から帰ることに。
2015年2月26日
<day+260>
今日はチームの看護師さんが産休に入られるということで挨拶に来てくれました。
入院も1年以上になり辞められる看護師さんや産休に入る看護師さんもいて別れも少なからずありました。
今日から夜は自宅は帰ることにしたため、夜間の息子の様子がわからず不安でした。
2015年2月27日
<day+261>
息子はエレンタールの事が頭から離れないようでとてもナーバスになっていました。
看護師にも泣きついていました。全く元気はありませんでしたが、夕方DTMのお稽古の先生が見えると元気になって楽しそうでした。
2015年3月2日
<day+264>
今日は息子の20歳の誕生日。
昨年はまだ食べることができたのでケーキも用意しましたが、今年は用意することができません。何が喜んでくれるのかな? と思いつかず高校の時にスキー合宿に行った写真をプリントしたTシャツをプレゼントしました。
*僕の記憶*
27歳の僕が感じている時間の流れと
当時の僕が感じている時間の流れは、
全く別のものだ。
15歳の頃。自分に20歳なんて永遠に来ないような気がしていた。
中高一貫校に通っていたというのもあるんだと思う。
中学時代からの変わらない顔ぶれと、変わらない校舎と、持ち上がりの先生たち。止まっているわけではないけど、進んでもいない時間の中で、僕は漂っていた。
病院に入ってからもそうだ。
止まっているわけではないけど、進んでいるわけでもない。
自分以外の友達たちはみんな、ほとんどが大学へと羽ばたいていって、
僕の知らない青春とか勉強とかを楽しんでいる。
何で確認したわけでもないのだけど、LINEのタイムラインやトップ画像、フェイスブックの投稿とかで、見ようとしていなくても目に入ってくる。
少し前に、成人式の話題が友達の間で交わされていたのを僕は知っている。
スマホは、世界と僕を首の皮一枚で繋いでいて、
そして僕は、わざわざ自分が惨めになるために誰かの輝かしい日常を見たいとは思わなかった。
この頃、僕が使っていたSNSはLINEとFacebookだけで、
Twitterはあまり使いこなせていなかった。
自分の状況を発信するという発想がなかったし、その気力もなかった。
だけどそれは、僕にとっては救いだったのかもしれない。
今のようにTwitterで友達の行動を追えていたら、
とても耐えられなかっただろうから。
***
妊娠している看護師にお腹を触らせてもらった。
内側から何かが聞こえたような、聞こえなかったような、でもこの死が渦巻く病棟の中で、膨らんだお腹は異様な光だった。
こういう、自分から遠すぎる幸せは、
まだ素直に受け入れることができるようだった。