先日、愛猫が21年の命を終え
虹の橋を渡っていった。
猫は命を終えた時、
大好きな飼い主の幸せを願って、
おとずれるはずの不幸を
背負えるだけ背負って
虹の橋を渡って行くそうだ。
橋の先は天国の少し前にある
幸せな場所で、
私も命を終えたときに
動物達が待っててくれるんだって。
人間と暮らしを共にする
犬や猫には、お役目があるという。
犬は飼い主を守ること。
猫は飼い主の邪気を払うこと。
真実は明らかではないけれど、
そう感じる。
でも、すべての飼い主は
ペットを守りたいものだよね。
だから私は、そのためにしてる
ちょっとスピリチュアルな方法がある。
それは、花を飾ること。
部屋に花を飾るのは
そもそも心地がいいし、
開運にも繋がるアクション!
けれど実は、愛猫達を
守る為にもしてた事なの。
人間の嫉妬や怒り、
憎しみなどのエネルギーは
見えないけれど存在していて、
ビームのように飛んでくる。
(放った人には倍で返ってくる。)
なので私は、毎日を
いい気分で過ごすようにしている。
(そして優雅に)
ほぼ毎日、花を欠かさず
飾っていると変化がわかり。
氣のいい時は、
切り花が2か月咲き続ける。
邪気が飛んでるなーって時は、
1日で花の首が折れたりするの。
コレ不思議よね。
邪気って自分に来る前に
自分より小さい者に飛んでいく。
というか、自分より小さい者が
自分を盾にして、守ってくれている
ように私は感じる。
ペットとか、子供とか。
飼い主や親を助けたいと思って
くれてるんだろうね。
母親の心身の不調が、
子供の症状や状態として現れる。
という経験をした事がある
お母さんは、多いのではないかなぁ。
良くも悪くも。
日本では昔から、
庭で池に鯉を飼うのは
そのような捉え方もあって。
可愛いのは勿論だけど、
見えない異変に気付くためでも
あった、というのだ。
スピに寄りすぎた考えは
苦手な私だけど、古くから
そんな事例が残されていたそうだ。
(今は科学でもわかってるけど)
こう言うと、周りに起こる
不幸が自分のせい?
と捉えてしまう方もいるけど、
ネガティブに捉える必要はなくて。
捉え方を変えるヒントにしたり、
よりよく過ごす為の
おばあちゃんの智慧のように
使うといいのかなぁ。
そんなわけで。
私は愛する猫たちに
自分に向けられた邪気を
吸わせたくなくて。
(自己満足)
いつもいつも、花を飾っている。
(花のある暮らしが好き)
しかし、愛されて暮らす猫は、
飼い主の邪気を吸うのが仕事の
1つでもあるという。
でも、幸せしかくれないのに。
飼い主の不幸を
できるだけ背負って
虹の橋を渡るなんて。
それが幸せだなんて...
(スヤーだよ)
だけど、お役目を全うした
猫や犬は、幸せに生きた褒美に、
すぐに毛皮を変えて
生まれ変わる事もできるそうだ。
でも、だとしても。
まだ、フワフワの感触も、
鳴き声も寝息も、
赤ちゃんみたいな良い香りも。
キラキラの瞳も全部、
ありありと覚えているのに。
ココにいないことが、
とても寂しい。
今はまだ、
私の性格によく似た
不器用なあの子に
たまらなく会いたい。
どこにでもいるような。
でも、どの子とも違う、
私だけのシマシマに。
もう一度あいたい。
とてもあいたい。
たかがペット、と思う人も
いるのかもしれないけれど。
21年もの間、文句も言わず…
(文句は...言ってたかもしれない。笑)
苦しみや悲しみを癒してくれて、
幸せしかくれなかった。
心から愛する、家族なのだ。
愛する人がいる、
愛する存在があると同時に、
さみしさも存在する。
世の中は陰陽で、
良いだけ、悪いだけ、
光だけ、闇だけはなく。
それでも人間は、
体験していないことを
体験したい生き物と感じる。
宇宙人的に言うと
地球は《感情》が豊かな星。
感情が希薄な星の宇宙人からすると、
地球に生まれてきて
《喜怒哀楽》
を味わう事も、してみたい事の
ひとつである......
なんて噂も、あったりする。
とはいえ個人的には、
悲しみや怒り、憎しみなどの
感情は少ない方が嬉しい。
愛猫がいなくなった瞬間、
パートナーや家族、親族や友人達、
大切な人達が脳裏に浮かぶ。
いつかは必ず来てしまう、
別れ。
に対する抗体や、
心構えを教えてくれながら
愛猫は旅立っていった。
あぁ、そうか。
人生の悲しみの量が
決まっているのだとしたら、
ずいぶん、背負っていってくれた。
悲しみを感じる時間と
環境を与えてくれた、
彼と家族にも感謝しかない。
人生における、
とても大切な時間を過ごせた。
ありがとう。
また逢おうね。