マーケター「肉・球 = しろの」のブログ

マーケター「肉・球 = しろの」のブログ

マーケティングの上流である戦略、戦術論の解説や、歴史談義を書きなぐってまいります。 ※不定期更新

Amebaでブログを始めよう!
4.海援隊とそれに伴う商売に対しての考察②
~亀山社中~

えらく開きましたが、龍馬シリーズです。
本日は有名な「亀山社中」です。

よく亀山社中は、日本最初の株式会社ではないか?と言われます。
私は、この話となると「当時龍馬は漠然として株式会社のイメージとして亀山社中を運営していたんでは無いか」と返します。

これには、理由があり当時の龍馬から亀山社中をどういう方向で進めて行くのか分らないのが最大の理由です。しかしながら、株式会社の骨格がイメージとして出来ている理由もまたありまして、その理由は後の海援隊の規約に「運輸、射利、開拓、投機」を目的として活動していくという隊の規約があるのです。

運輸はそのまま運輸業としての側面があると言う事。
開拓は当時龍馬は北海道の開拓をして、ロシアに備える意識が合った事。
投機は株式会社として、当時の各藩より出資金を求めている事(福井からは5000両を出資させている)

そして、射利。
これが凄いのが、彼の弟子である睦奥宗光が「カンパニー」という言葉を使って報告書を上げている事実があります。

この事から、亀山社中時代は手探りで株式会社の形を模索し、海援隊時代に形が定まったのでは無いかと言うのが私の意見です。

そして亀山社中が日本最初の株式会社かと言われると、それは否です。
実は、その前に「兵庫商社」という、当時幕臣の小栗忠順が運営していた組織があります。
私は、この「兵庫商社」が日本での商社の祖だと考えています。

次回は、龍馬とジョン万次郎、五代友厚と言った商売上の話をしまして龍馬の商売上の話を総括してみます。
3.薩長同盟に対しての考察⑤
~成立~

さて、前回は薩長両藩の利害から両藩は繋がっていくはずなのに、感情的なしこりから、土佐藩の坂本、中岡に出番が回って来たところまでお話しました。

今回は、薩長同盟成立のお話です。

勝はその革新的な考えやこの人自身の性格から、保守的な幕閣に嫌われ、軍艦奉行を羅免されます。それに伴い、神戸の海軍操練所も廃絶。この時点で塾頭であった龍馬たちは行き場を失います。その受け入れ先を勝は薩摩の西郷に託し西郷も快く了承し、龍馬の思い描く海援隊への土壌が出来てまいります。その後龍馬は薩摩へ行き、そして下関へ渡り、そこで当時長州に居た中岡と土方と話をし、薩長両藩の結びつけが必要との意見んがここで一致します。

そして、中岡と龍馬が手分けをし、薩長両藩の首脳への説得を始めます。

ここで、中岡ですが中岡慎太郎は、この当時土佐を脱藩し長州に亡命していました。そして禁門の変などへも従軍し長州の藩内には知己も多く人脈を築いており、既に薩長同盟への下地は出来ていたといえるでしょう。

そして、彼らは長州の木戸を口説き、薩摩の京都屋敷への訪問までこぎつけます。

そして、その10日後の慶応二年(1866)正月19日に、龍馬は京都へ入り当時薩摩藩屋敷にいた木戸を訪ねます。
しかし、その時点で薩長両藩の盟約の交渉自体進んでなく、龍馬は驚き、木戸へその無為を詰ります。

ここは、龍馬の小説でも有名な見せ場ですが、私なりに史実から二人の会話を予想してみます。

龍馬「桂くん、西郷、いや薩摩との盟約どうじゃ?」
木戸「・・・」
龍馬「どうした?」
木戸「坂本くん、ここは非常に居心地が悪いな。。。」
龍馬「・・・」
木戸「命がけで京都へ入ってきたが、薩摩の面々はみなニコニコして、毎日、毎日宴会で楽しく過ごさせて貰ってるよ。しかし、盟約の話はまったく無く、それどころか西郷も大久保も最初に顔出しただけでその後は、一切顔も出さず一体自分は何しに来たのか・・・」
龍馬「桂くん、盟約の話は長州から言えばよかろうに。」
木戸「坂本くん、それは出来ない。」
龍馬「何故じゃ?」
木戸「長州から薩摩へ盟約をお願いすることは、哀れみを乞うことになる、その上薩摩に対し危地に引き入れることにもなる。我が長州藩は士道の上でも意地が立たない。」

小説などでは、ここで龍馬が激怒ししますが事実はこの辺りあいまいなんですよね。

その後、龍馬は西郷へ木戸の心情をしっかり伝え、薩摩から盟約の話を持ち出します。

ここに、薩長同盟が成立します。

さて、この薩長同盟にたいしての私の史観です。
この同盟が倒幕の決め手になったのはまず間違いありません。
結果的に勝や龍馬は幕府を間接的に倒すという形になりました。
しかしです、彼らの本音はどうだったのかは、何も語っていないので分かりません。特に勝は幕臣であったため、倒幕までこの時点で考えていたかどうか。
薩摩や長州の雄藩を引き込み幕政改革を進める事に期待していたのではないのか。
そして、龍馬もこの同盟が倒幕まで進むとはこの時点では思っていないと私は思う。
それは、二人の年齢差から来る老獪さからともも考えられるし、そして勝は幕閣という組織の中で生きている人物に対し龍馬は脱藩浪人という組織外で自由に生きていることからお互いの考え方に差があるように思うのが私の意見です。

残念ながら、勝は維新後も長生きしましたが龍馬は死が早すぎた。
よって、薩長同盟もまた謎が多く結論は出ないのです。

(了)

次回は4.海援隊とそれに伴う商売に対しての考察に進みます。
3.薩長同盟に対しての考察④
~好転②~

前回は、第一次長州征伐で長州藩が自藩の攘夷派を処分し事を終息させた所まで述べました。

その後、長州への征討軍が引き上げると長州藩内が変わります。
まず、幕末の爆弾と言われる高杉晋作が奇兵隊を率い、藩権力を奪い形はどうあれ、薩摩藩と同様に軍備を整えながら、幕府に対しては日和見恭順の対応をし始めます。

この時点で、既に薩長同盟の可能性が萌芽してきており、反対に幕府と薩摩の関係は悪化の一途を辿っていきます。
薩摩は、長州を追い詰めるのを非としていましたが、この征伐の勝利者である幕府は長州藩主父子に江戸までの謝罪を求め、薩摩側の妥協案を蹴り、大いに薩摩と西郷の面目をつぶします。

結局、長州はこの幕府の難題を拒否、第二次長州征伐を進めようとしますが、今度は大義名分が無いと薩摩は拒否、薩摩と幕府の関係が壊れだしたと同時に、薩長同盟への土壌が出来始めたと言えるでしょう。
この時点で薩長の感情的ないきさつを省けば、この両藩が手を組まない理由は無くなったのです。

また、長州としてはこの幕府の征伐軍を迎え撃つために、洋式兵器を手に入れる事が絶対でしたが幕府にその道は絶たれていました。
結局、長州自身での兵器購入は不可能で他藩名義で購入するしかなく、当時幕府と戦争をしていてこの長州の危急を救えるのは薩摩しかなかったのです。

この両藩の利害関係の調整はこの両藩以外の仲介者が絶対必要で、ここに土佐藩の坂本、中岡の出番がまわってきました。

次回は薩長同盟に関して最後です。

肉・球