シバのしっぽ 孫の足 -28ページ目

シバのしっぽ 孫の足

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視界に白い糸や黒い点のようなものが映っているのにきがついた。


「邪魔だな」と思って視線を変えても、浮遊物は一緒に移動してくる。

シバのしっぽ 孫の足

いまのところ ボウフラのようなものが 1匹!!


原因は活性酸素を発生させる「紫外線」!!そして 老化!!


眼病が原因で起こることもあるので 眼科で検査した。


瞳孔を広げる目薬をして調べてもらう。他の眼病の可能性なし・・・


しかし、広げた瞳孔は、3.4時間でもとに戻るという医者の説明なのに・・


実際は 5.6時間かかった。


車での 来院は控えてもらいたい・・とのことで 徒歩で行ったが


帰りは 開いたままの瞳孔に、光がまともにはいってくるので


まぶしくて 片目つぶって帰宅。その後も カーテンを閉めて サングラスをかけて過ごした。


これも・・・・・老化か・・・・・・°・(ノД`)・°・


急に思い立ち関ヶ原へやってきた。


笹尾山の石田三成陣跡


シバのしっぽ 孫の足

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石田光成は


太閤検地 においては検地尺を定めるなど、大きな実績を残した。豊臣家奉行の筆頭格であり、優れた行政能力を持った官僚であったという


石田光成(41歳)率いる西軍は84,000兵 徳川家康(59歳)率いる東軍は 74,000兵

戦いは 数字ではないのだ。


1,600(慶長5年)年9月15日 午前8時~ 


午後3時ころにはほぼ決着がついていたそうだ。

シバのしっぽ 孫の足


前半有利の戦っていた 西軍の敗北の原因となったのは家康と密約を交わしていたとされる小早川秀利


の 動きだ。秀利は当時19歳 2年後に狂死したという。


シバのしっぽ 孫の足

関ヶ原町歴史民俗資料館へいくと 関ヶ原合戦のことがよくわかる。


福島正則、黒田長政、井伊直政、本田忠勝・・・等 見覚えのある武将の名が・・・


しかし、 ほとんど 忘れてしまっている。

りす発見!!\(゜□゜)/  この地区には結構多い!!


シバのしっぽ 孫の足


和地山公園にいつのまにか フェンスが張り巡らされていた。


サスケ 放し飼い!!ヾ(@^(∞)^@)ノ


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シバのしっぽ 孫の足

年をとったのか 遠くへ行かない σ(^_^;)