こんばんは。
mapoです!
昨日は、初めて一人カラオケフリータイムで、
5時間も歌ってしまいました(笑)
案の定、声はカッサカサになりましたがw
人目を気にしないで歌うって、最高な気分ですよね。
こういう発散方法も、あり!♪( ´θ`)
お試しあれ♪
今回は、前回の続きからお話しさせていただきたいと思います。
私が“不登校”になってからの家族との距離感や、当時の様子をお話しさせていただきます。
まだ、幼い妹たちや、姉からは、特に干渉された記憶はなかったですが、三女は周りをよく見ていた子で、幼きながら私のことを心配していたと言っていました。(友人の母親に言うくらい笑)優しい子です。
父親は穏やかですが、亭主関白なところもあり、おそらく私が学校を休むことを良く思っていなかったと感じます。
言葉にしなくても、態度でなんとなく伝わってきました。
そして、一番長く過ごす時間が多くなったのが、母親との時間でした。
私はもともと、自分の気持ちや感情を言葉に出すことが得意ではなかったので、母親と長くいる時間がある意味、苦痛に感じてました。何も話すことがないので・・・
今思えば、もう少し上手にコミュニケーション取れればよかったなと思います。
ある時、母親は、“私の考えていることが分からない”と、私の目の前で泣きつかれました。
私は、自分の考えていることが言葉にうまく話せなくて、私も泣いていました。“ごめん”しか言えませんでした。
母親を心配させないと“これからは、何かあったら言うね”とだけしか伝えられませんでした。
いつも私は、他の姉妹が学校に出たあとに起きてきていました。
すると、仕事に行ったはずの父親がなぜか居て、突然私の腕を引っ張り、“今から、学校に行くぞ”と・・・
私は、行きたくなくて、父親に怒られながら、泣いてその場にしゃがみこんで必死に抵抗していました。
父親が、とても怖く感じました。余計に、学校に行きたくなくなりました。
そんなことがあり、母親は学校に行かなくてもいいことを受け入れてくれ、父親も次第に理解してくれるようになりました。
それは、あるきっかけでカウンセラーの先生のアドバイスがあったおかげでした。
両親も、このことを誰に話していいか分からない、私も、どうしたらいいか分からない・・・
そんな時に、カウンセラーの存在を知り、母親と初めて伺いに行った時、私も自分の気持ちやどうしたいか伝えられ、母親も、色々吐き出すことができたのでしょう。先生の言う通りに、しばらくゆっくり過ごしなさいと言われました。
それからは、両親との距離も縮まったように感じました。
公園で桜を見に行ったり、ショッピングしたりと自由に時間を過ごしました。
それから私は、中学3年生に上がった時に、教室には入れないけれど、“学校に行きたい”と自然に思うようになりました。多分、勉強をしなきゃと思ったからですね。
そして、私は、“保健室登校”という、学校に行くけど、保健室で過ごすことになりました。
私としては、大きな一歩です。
今日は、ここまでにしたいと思います。
次回は、当時に感じていたことや保健室での過ごし方について、お話ししたいと思います。
みなさんに幸あれ・・Life is good ♪
では・・・