前の記事の続きになりますので

まだ、お読みになっていない方は

一度お戻りになり経緯をご確認してから

この先の記事をお読みください。

 

 

 

 

 

私は、事故の前に芸能活動を再開する為に

事務所の方とお話を進めていました。

 

 

 

ですが

約2週間意識を取り戻さない

父と弟・・・

 

 

 

 

血縁関係上

保険会社や弁護士さんの手配を行う上で

両者同時に手続きを進行するとなると

娘であり姉である私しか出来なかった為

意識が戻らない間も

自分の生活の為、朝まで仕事をし

朝一から役所、商工会、そして急な病院からの呼び出し・・・

 

 

24時間では足りない程の事が

一気に迫ってきました。

 

 

 

 

私は、まだ24歳・・・

 

 

無い知識の中、色々な知り合いの方や書籍から

情報を仕入れ

頭を下げ弁護士さんを紹介して頂いたり

バイクの時価総額が保険会社から提示された物と同等なのか

あらゆる事に追われていました。

 

 

 

 

 

そんな先の見えない日々に

自分の夢まで組み込めるほど私は器用では無かったのです・・・

 

 

 

所属する予定だった社長さんに

事情を話しこの時はまだ所属を先延ばしにして頂きました。

 

 

 

 

 

 

そんな中、

父と弟が意識を取り戻しました。

 

 

 

 

ですが

お父さんも弟も事故時の記憶が

全くなく

家に帰りたいと泣き叫んでいたのを

鮮明に覚えています。

 

 

 

お父さんに関しては

元々職人として仕事への熱意がとてもあったので

ベッドの上で暴れ挙句

とても可哀想ではありましたが腕を

ベットに拘束されておりました。

 

 

 

また、頭を強く打った衝撃から

高次脳機能障害という

記憶が一部欠落してしまう所見まで・・・

 

 

 

唯一の救いは

私の事をしっかりと娘と認識してくれていたことです。

 

 

しかし

事故前から約5〜10年の記憶は今も欠落してしまっています。

 

 

その際の様子がこちらです。

 

 

 

 

うつ状態になると

退院した今でも5〜10分前の

会話は忘れてしまいます。

 

 

 

 

そして

ある日唯一の血縁者である私は

病院に呼ばれました。

 

 

 

 

 

父の左足の損傷が酷く

壊死が進んでいると・・・

 

 

なので

切断するか決めてくださいと

宣告されました。

 

 

 

父はまだ51歳の働き盛りの

職人です。

 

 

 

 

それを私は1人では抱えきれず

父の内縁の奥さんや

私の実の母に相談しました。

 

 

 

ですが

返ってくる言葉は全て同じ。

 

 

 

 

父の命の為にも

切断が懸命だと・・・

 

 

 

 

相談したみんなは

言葉で言うだけで実際に

同意書にサインし最終的な決断をしなければいけないのは

私でした。

 

 

実の父の足を切って欲しいなんて

娘としての本心はそんな事望みません。

 

 

 

 

しかし生きて欲しい。

 

 

 

 

そんな思いで

切断の同意書にサインをしました。

 

 

正直、手の震えが止まらず

数日眠れませんでした。

 

 

 

 

 

しかし

弁護士さんへの報告などもあり

現実を受け入れるしか無かったのです。

 

 

 

 

 

本人は切断される事も理解できず

笑顔で「行ってきます」と言い残し

手術室へ入って行きました。

 

 

 

 

さすがの私も

涙が止まりませんでした。

 

 

 

 

 

父が自営でやっていた建設関係の

職人さん方へのお支払い

身内での話し合い

全てにおいて涙も見せず

気張っていました。

 

 

 

 

ですが

その時から私の心は崩壊し始めていたのです・・・