2026年 4月22日(水) 17時07分 永眠しました。享年60。

私自身の備忘録を兼ねて今までの経緯をざっくり以下に記します。そのときどきの詳細は過去記事をご参照ください。

 


2024年 9月:胆のう癌発覚。肝臓、リンパ節転移あり。ステージⅣで手術不可。
延命目的で抗がん剤治療(免疫チェックポイント阻害薬 + シスプラチン + ゲムシタビン)開始。
 

2025年 4月:抗がん剤治療8サイクル終了時の画像診断で、画期的な奏功を確認。
原発胆のう癌の著しい縮退。
肝臓転移の縮退。
リンパ節転移の消失。
コンバージョン手術対象になり得るということで、さらに4サイクル、シスプラチン抜きの2薬で4サイクル実施し、8月に手術を予定。

2025年 8月:コンバージョン手術実施。
手術前の画像診断で、 4月には肝臓に確認できなかった新しい?がんの急速憎悪を確認。
他の部位のがんは制圧出来ていることから、この急速憎悪に対応すべく緊急に予定を前倒しして、手術実施。
胆のう、肝外胆管切除術、肝部分切除、リンパ節郭清、肝管空腸吻合術。
大きな手術であったものの無事終了。予定していた内容は全部実施。


2025年10月:抗がん剤治療第二弾開始。
病理検査の結果、肝臓での急速憎悪腫瘍は、神経内分泌癌(NEC)と判明。
10万人に 1人という希少がん。
通常のがんに比べて非常に増殖速度が早い(Ki67 : 80)ので、NECに対応した抗がん剤治療を実施。
ところが1サイクル目で激しい副作用。好中球がほぼゼロ。緊急入院。
抗がん剤治療中止。
緊急入院中に全身CT撮るも、この段階では再発確認できず。

2026年 2月25日:消化器外科から腫瘍内科へ転科。
2月中旬の画像診断で肝臓がんの再発、腹膜播種確認。
腹膜播種があることから外科的治療の道は閉ざされ、今後は抗がん剤中心による治療に移行するということで、消化器外科から腫瘍内科へ転科。

2026年 3月 2日:緩和ケアへ移行。
腫瘍内科初診日、ここ3日ほどで急速に腹部膨満してきた妻の状況を見た腫瘍内科主治医がその場で即、画像診断実施。
癌性腹膜炎による腸管狭窄により腸管内ガス滞留でお腹が膨らんでいるとのこと。
腫瘍内科では抗がん剤治療計画を院内カンファレンスで2通り用意してくださっていたとのことだけど、この状態で抗がん剤治療を行うと腸壁を破壊して致命傷になる可能性があるで見送り。
緩和ケアへ移行。
緩和ケアに移行となると、大学病院に来る理由はほぼ無い(通院大変待ち時間長い疲れるこれだけで疲弊)ので、在宅診療と在宅看護の提供事業者と契約し、在宅での緩和ケア体制を整える。と同時に、このがんの進行は劇的に早いので一日も早く介護保険申請したほうがよいとの主治医談により、介護保険2号適用申請。

みなし適用でまずは介護ベッドを導入。その後、4月に入って歩行器、車椅子、トイレの手すり、シャワーチェア、ポータブルトイレ等々も続々と導入。
また、腸管狭窄が閉塞になると非常に良くないので、この日この時点より、固形食禁止で液体食のみとなる。
妻の最後の固形食は、腫瘍内科初診日の通院前に私と一緒に食べたジョナサンランチ(季節限定なにかのドリアセット)となる。

2026年 3月下旬:娘が帰ってくる。
都内で独り暮らし(?)していることになってる娘が勤務先に介護休業を申請。7月まで休職してくれて妻の介護に加わる。

2026年 4月12日:自力での歩行が困難に。
腸管狭窄の進行に伴い液体食の摂取も困難となってきて、4月6日まではどうにかエンシュアHを2缶、他ソフトクリーム等々で1,000KCal/日程度は摂れていたのが、それ以降は飲める水分もどんどん減っていき、カロリーも600KCal台から300KCal台に。
当然基礎代謝も補えないので、自分の身体を削っての生命維持モード。それに伴い筋力、意識レベルが低下してゆき、ぼーっとしていたり、寝てたりする時間が増えてきた。
12日の早朝、トイレに行こうとした妻が私の上に倒れる(和室で布団敷いて寝てる)。
幸いなことに私がクッションになって怪我等は無いものの、自力で立つことが出来ない。どうにか立たせて、トイレまで付き添って、どうにか歩いて行けた。
この日から妻の衰弱はさらなる加速。毎日の水分摂取量もどんどん減少。しかし一方で腹水は溜まる状況。

歩行器を導入し、初日こそ「これで楽に歩ける~~~」と喜んでいた妻だが翌日にはもう歩行器での移動は困難。車椅子へ。

トイレで自力で立てなくなった翌日にトイレに介護手すりを設置。「これで一人で立てる~~~」と喜んでいた妻だが翌日にはもうそれも困難で私がトイレからの起立をサポートしたり。

とにかく、このへんから衰弱が急激に加速。考えてみればほとんど栄養分を摂取してないわけだから。

この数日後の訪問診療で、そろそろ緩和ケア病棟への入院のタイミングかもという主治医からの提案。いちおう、緊急時に備えて、緩和ケア病棟のある病院にはエントリーだけはしてあり、希望すればすぐにも入院できる体制は作ってある(24時間面会制限無し個室風呂トイレ付のワンルームマンションみたいな病棟)。
その日の夜に家族会議。
妻は、自力で動けなくなったら入院でもいいと言ってるが、本音を聞き出すとやっぱ家に居たいと。でも私や娘に迷惑かけたくないと。
妻の意向は分かったので、主治医に緩和ケア病棟入院の線は無しなのでエントリー解除、このままずっと自宅で診ますと伝える。

4月21日、22日とどちらも早朝に緊急対応。朝4時~5時の時間帯。
数日前よりほぼほぼ水分摂取が困難になり、スポンジで唇を湿らせて口の渇きを軽減する程度が精一杯な状態に。
そんな中4月21日、40度の発熱、激しい苦痛の訴え等で娘と協力して座薬を入れたりして、緊急処置後に緊急ホットラインに電話。
どんな時間帯でも、遅くても20分以内に訪問看護師がやってきてくれる。実に心強い。
この時、「もうその時は近いと思います。今でも自宅で看取る気持ちに変わりはありませんか?」と、再確認される。即返答。
22日早朝も手を激しくバタバタさせて暴れるも、脇に行って手を握り、「ぱぱですよ~」って話しかけるとすぐに落ち着く。主治医や看護師の話では、ここまで意識レベルが低下してくると感じていることがそのまま行動に出てくる。真夜中になって静まり返って生活音もなくなり、近くに誰も居ないって感じると怖くなってそれが身体行動に出るということらしい。
実際、私があれこれ構ったり、異変を感じて娘がやってきたりするとすごく静かになるし、緊急ホットラインに電話して看護師さんが来たりすると安定することは確かだ。

2026年 4月22日 16時14分:呼吸停止。
ここ数日、ほぼほぼ24時間介護状態なこともあり、娘に任せて私が介護ベッドの横で昼寝していると、「パパ呼吸がへん!」。
すぐに飛び起きベッドの左側に回って妻の手を握り「パパですよ~」。
昨夕からもう目は見えないし会話も出来ない状態なのだけど、わずかな呼吸の変化や瞼の動きでこちらの声が聴こえていることは私にはわかる。
私が行くと安心するのか、真夜中でうなされているときなども、手を握って耳元で声をかけるとすぐに落ち着く。
そのまま手をさすっていると数分後、呼吸停止、顔面白化、唇の色衰退。


右手を娘が、左手を私が握った状態で我が妻、現世を卒業。

 

まったく苦しむことなく、眠るように、安らかに、息を引き取りました。

2026年 4月22日 17時07分:死亡診断。
緊急ホットラインに電話し医師、看護師たち集結。
17時07分、主治医により死亡診断が下る。


 

自分へのメモを兼ねてざっと今までの経緯を書き下ろしました。
末期がんの自宅での看取りは大変だという話はあちこちで目にしましたが、確かに、物理的、身体的にはキツいところもありましたが、精神的なストレスは全く無く、ほんとうに、自宅で最後まで看取れてよかった、病院に入院せずに最後までウチに居てくれてほんとうによかったって、心から思っています。
ひょっとしたら環境の整った病院のほうがいいのか? って思うこともありましたが、なんの生活音もない、自分の身の回りのものもない、無機質な病室より自宅のほうがいいだろうという私の思いと、妻の本心(自宅にずっと居たい)が一致することが確認できたので、私も覚悟を決めました。

 

緩和ケア病棟は一般病棟と違って看護師の数が多く、ナースコールですぐに来てくれるから安心ですよ~って言われても(筋力低下で腕が動かないのでそもそもナースコール押せない)、夜中に10分おきに「喉が乾いた」と訴える妻の唇に、水で湿らせたスポンジを当ててくれるなんてことまでしてくれるとは思えず(してくれるのかな?)、妻もきっと病院だったら気を遣って我慢してしまいそう。
 

また、今回、自宅で看取ることが出来たのは、サポートチームがほんとうに優秀でそれに助けられたというのが大きいです。
なにかあれば深夜早朝時間帯問わずすぐに来てくれる看護師さん。
必要であればすぐに駆けつけてくれる主治医チーム(この主治医も元は、妻が通院してた大学病院で腫瘍内科に在籍してた重鎮)。
このサポートがあったからこそ、なにがあっても妻を自宅で看取るという決断が出来ました。
 

あとは娘。
始めのうちこそ、「介護休業して仕事大丈夫か? こっちはどうにか回ってるから週末だけでもいいぞ」なんて言ってた私ですが、後半は娘無しだったら完全破綻していたでしょう。
自分の母親を献身的に介護している娘の姿を見て、彼女もいつの間にか立派な大人になったんだなぁなんて思ってみたり。

この記事の内容だけですとなんだか大変な状況のみ感じられるかもしれませんが、ほんとうに最後の最期まで、暗い雰囲気は皆無でなんなら主治医や看護師一同爆笑の渦を巻き起こすようなお茶目な妻でした。

妻が息を引き取った日の夜は、娘と二人、妻の現世卒業を祝して乾杯しました。あっちでも楽しくね~~~ って。

それにしても結婚生活31年。ヘンな話ですが、妻とここまで濃密な時間を過ごしたことはありません。
こんなことならもっと早くに、おいしいものを食べたり、あちこち行ったりしてたらよかったなぁなんて思いますが完全に後の祭り。でも、最期、娘と二人できっちりと見届け、見送れたことは、よかったなって、心から思います。

葬儀はすでに、家族葬で済ませました。

この写真は、妻が好きだったベランダの雑草まみれの鉢植えの薔薇。
私が薔薇の剪定をした際、切った枝を適当に挿しておいたらたくましく毎年花をつけるようになった薔薇。
こんな極悪な環境でも、けなげに咲いてる薔薇が好きだったようです。