あんま本ブログの主旨とは異なるのですが(少なくとも妻の闘病記では無い)、全然関係ないわけでもないので、こんな話もあったってことで、私の備忘録兼ねて記しておきたいと思います。
2026年 4月21日(火) 長女 婚約。
実は2024年8月から、フィアンセと同棲していた娘。
今回の妻の件を受けて4月25日(土)に前撮りでウェディングフォトを撮ってままに見せたいと相談を受けたのが4月19日(日)の夜だったか。
ずーっと妻の様子を見ていた私から客観的な印象を伝える。「土曜日だと間に合わないと思う」。
そこで急遽、4月21日(火)の午後、フィアンセ御来訪となった。
この日は早朝に40.5度の発熱があり私と娘とでカロナール座薬を入れたあとホットラインに電話。7時過ぎにはみんな集まってくれてあれこれ対応してくれて。
お昼前に、主治医から状況が状況なので、「強力な鎮静効果のある座薬を使いましょう」と話が。
おそらくこれを入れると寝てしまうので会話が出来ない。
「あの先生、実は今日、午後、娘のフィアンセが来ることになっていて・・・」
『それは絶対に会わないといけません。座薬はフィアンセさんが帰ったあと、訪問看護チームに入れてもらいましょう』
「大丈夫です。私と娘でやれます」
『フィアンセさんには、30分でも1時間でもいい。早く来てもらってください。早く来た分、損することは絶対にありません』
そんなやりとりで座薬は取り敢えず延期。フィアンセ到着。この頃の妻はまだ、ささやき声で会話は出来たけど視神経系統は完全にスリープモードになっており、自分で目を開けようとしても開かない、見えない状態。
フィアンセさんも2時間ほど粘ってくれて、妻の手を両手で握りながら話かけるも、とうとう目を開けることが出来ず、「直接手を握ってお話できただけでもよかった」「また今度ね」ということで帰路へ。
娘はフィアンセ送りで一緒に駅へ。私はべランダで洗濯物を取り込んでいると、ささやき声しか発せられなかった妻が、マンション中に響き渡るような大声で『ぱぱ目が開いた!』。
びっくりして速攻でベッドの前に行き、「ぱぱが見えるか?」『見える!』。
フィアンセがウチを出て10分ぐらいか。ちょうど駅に着いたころ。娘に電話しつつ、ここから戻ってきても妻の視神経系統がいつまで持つか保証は無い。
娘が電話に出ると同時に、「相方まだ居るか? ままの眼が開いた! LINEビデオ通話かけるぞ!」
ちょうど、改札前でこれからあっちに行くところだったよう。
スマホの画面越しだけど、無事、お互い顔を見合いながら、会話ができた。
最後の最後で目が開いて、ほんとうによかった。妻も、「お会いできてよかった~~~」って、何度も何度も。
妻の眼がきちんと開いて、しっかりと世間を見ることができたのは恐らくはこれが最後。
なにはともあれ、我が娘、婚約おめでとう!
楽しく幸せに生きるんだぞ!
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余談:
私と妻が娘のフィアンセと会うのはこれが2度目。
1度目は同棲を始めるに際して、相方が挨拶したいと娘から申し出があった時。
私:「別に結婚するってわけじゃないんだから挨拶なんか要らんよ」
娘:「相方がどうしても挨拶して許可を得たいんだって」
私:「許可ってなんだ?」
して今回。
相方:「お嬢さんとの結婚をお許しいただきたく・・・」
私:「許すもなにも、娘は私の所有物ではない。お互い、大人なんだし、そんな2人がお互い合意して決めたことなら、親が干渉する余地はない。おめでとう。娘をよろしくお願いします」
私が「許可しない」って言ったら、どうなったんだろ(そんなイジワルはしません)。
妻の闘病記ということで始めた本ブログですが、これにて区切りがついたということでまずは一旦、御開きとしたいと思います。
緩和ケア入りした後の病状変化や、摂取水分量、摂取カロリーの減少に伴い理性バリア(?)が低下することによる妻の新しい一面の発見(31年間一緒に暮らしてて全然気が付かなかったとってもお茶目なところ)なぞ、闘病記とは関係無しに私自身への備忘録というか、気休めも兼ねて書きたいことは沢山あります。
なので、ふと、思い立ったときに、意味不明な更新をするかもしれません。ほとんどのみなさんにとって、全く意味の無い内容になるかとは思いますが、超絶ヒマつぶしなぞにお読みいただければと思います。
本ブログを始めて、たくさんのかたからコメントをいただき、いいねをいただきました。本当にありがとうございました。
御礼申し上げます。