死後の世界はあるのですか
「死後の世界というのはあるのでしょうか。」
「ある、といえばあるし、ない、といえばないな。」
「それはどういうことですか。」
「あなたは率直で素直なひとだな。」
「どうしてですか。」
「私もね、二十歳くらいのとき、父親にきいた事があるんですよ。
そしたら、その答えが、あると言えばあるし、ないと言えばない、だった。
それでそのとき、それはどういう意味かと、あなたみたいに、素直に質問しなかったんですよ。
だから、父親の答えはとうとう聞かずじまいになってしまった。
それでもそれがどういう意味なのか気になって、ずうっと考えていたんでしょうね。
十年くらい経った早朝、夢に驚いた子供のように跳び起きたんですよ。なぜかと言うと、その答えが突然わかったからです。」
「解かったのですか。」
「解かったと言うのには語弊があるかもしれない。
解かる、とか、分かる、というのは字をみてもわかるように、
細かく、部分に分けて、
その部分を詳しく調べることによって物事を理解するという意味あいがあるように感じられるんですが、
それとはまったく反対の作業をして、直観的に全体を、しかも細かいところまで会得した、とでも言いたい感覚ですべてが明らかになったのです。」
「どうわかったのか教えて下さい。」
「言葉で表現できるかどうか難しいところですが、表現できなければ伝える事は不可能ですから、言葉によって表わしてみましょう。」
「私にでもわかることばでお願いしますよ。」
「何がわかったかと言うとね、
私が思い付いた事、考えた事、話した事、夢に見たこと、そういった一切の想念は、実際に存在する、
という事がわかったんですよ。」
「夢の中の出来事も実際に在るということですか。」
「そうです。もっと極端に言えば、夢の中の登場人物が夢の中で夢見たことでさえ実在するという事です。」
「・・・・。」
「ですから、あなたの最初の質問の答えは、あると言えばあるし、ないと言えばない、で正解なのです。」
「ですから、その意味するところを教えてほしいのです。」
「あなたは死後の世界はあると思いますか、ないと思いますか。」
「それがわからないから聞いているのです。」
「それでは在ってほしいですか、無い方がいいですか。」
「私は死んでも死にたくないから、在った方がいいと思っています。」
「それならば、あなたの死後の世界はあります。私にはそれがわかるのです。」
「私の死後の世界はある、ということは、誰か私以外の人には、死後の世界がないこともあるように聞こえますがどうなのですか。
私の妹は死後の世界なんか絶対にないといっていますから、妹にはないのでしょうか。」
「そうです。あなたにはあって、妹さんにはないのです。だから、あると言えばあるんだし、ないと言えばないのです。」
「それは、あると思っている人にはあって、ないと思っている人にはないということですか。」
「そのとおりです。人間は思い通りの世界に思い通りの生活をしているのです。生きるのも死ぬのも自分の思い通りの、自らの意思で行っているのです。
ですから、死後の世界も自由に選べるのです。
そのあるなしも、あるのならその在り様も、すべてあなたの手の内にあるのです。」
「私たちは思いどおりの世界に、思い通りの生活をしているというのはどういうことですか。先ほどの夢の世界における思いも実在するという直観的理解と関係がありますか。」
「大いにあります。
思いこそが、あなたの意思こそがこの世の実在の源であり、
すべてを思い通りに創造しつつ生きている人間の大本
なのだということが直覚できたのです。」
