革命的労働者協会(革労協)は現在でもロケット弾発射を繰り返す日本で1番暴力的な極左です。革労協について説明していきます。

1960年に日本社会党は社会主義青年同盟と呼ばれる組織を持っていました。一部の過激なメンバーが分離し解放派と呼ばれる極左団体を設立しました。

解放派は学生運動に積極的に介入しました。反帝学評と呼ばれる学生組織を持っていました。解放派は火炎瓶や角材などを使って機動隊と衝突しました。解放派は中核派と共産主義者同盟(ブンド)と共闘して暴力的な学生運動を扇動しました。

学生運動衰退後は革命的労働者協会(革労協)と名乗り始めました。

革労協は成田空港建設反対運動にも介入しました。解放派は偽装した消防車を使って成田空港に突撃を行いました。

革労協は革マル派と激しく対立しました。革マル派によって革労協の最高指導者が殺害されたことがありました。