4月17日。最愛の父が他界しました。
16日の夕方、会社で通常通り働いていた私のところに母からの電話。
普段通りに「荷物おくったから~」というと思ったら、
「パパが、余命一週間なの」
なにを言ってるの、お母さん。お父さんは元気で喫茶店のマスターしてるって
言ってたでしょ。
私には何も言わなかったらしい。一年半前に胃がんと宣告されたこと。
頭が軽くぬけていくような感覚。
ひとまず電話を切って、近くの同僚たちに、伝えた。
自分の口から、「お父さんが余命一週間だって」と伝えるたびに、これは現実なんだと思えてきた。
至急札幌に帰ろうと上司の許可をとり、母に電話すると、
「明日宅急便を受け取ってから帰りなさい、お父さんが荷物送りなさいっていってたから」
ち、、、ちょっと、お母さん!!こんな状態なのに、どうして宅急便受け取らなきゃいけないのーーー。
わけがわからない。でも、宅急便を受け取るのは絶対だという。。。
昔から変わっていた家族だけど、危篤状態の父のもとに行かず、なぜ宅急便!??
父の意思だから、仕方なくいつも通り帰宅。息子はパパから聞いていた。
泣いちゃいかんとごはんを作り、眠れない夜。
うとうとし始めた午前三時ごろ。
携帯が鳴る。
心臓がキューンと痛くなる。嫌な予感。
母の重たい声。
「パパの呼吸が浅いって病院から電話きたの。今からすぐ行ってくる」
この瞬間、お父さんの声が聞けないだろう、息子の顔を見せてあげられないだろうと、感じた。
祈るだけしかできない。数時間後、また携帯が鳴る。
「パパね、がんばれなかったわ」
本当にこの数時間で何が起きてるんだろう、雲の上をふわふわ浮いているような感覚。力がでない。
そして止めどなく涙が流れてきた。
何も知らなかった私にとって、この数時間で父を失ったのだ。
次の日はどうしてもお客さんのアポにいかなくてはいけなかった。
そして、14:05のスカイマークを逃してしまい、16:55の便へ。
息子が仕切りに変なことを言い続ける。
「ママ、ぼくなんだか気持ちが悪い、嫌な予感がするよ、飛行機が落ちるかテロにあうよ」
飛行機は何度も乗っている息子がこんなこというのは初めて。
何言ってるの!!と取り合わず、搭乗口近くへ。
さらに息子が繰りかえす。滑走路を見た途端、また再び繰り返す。
こんな時に行かないわけいけないでしょっといって、搭乗。
滑走路をずっとぐるぐるしている飛行機。
30分遅れてやっと離陸。
千歳空港から新さっぽろ、そしてタクシーで父がいる斎場へ。
まだ現実とは信じられず、斎場の控室に入ったらおじいちゃん、おばあちゃん、おばさん、お兄ちゃん、
そしてお母さん、喫茶店の方々が悲壮な顔で並んでいる。
遠く見える父の笑顔。しかし、写真だけ。奥にはお棺がみえる。
お母さんが、パパを見てあげてと。
息子がいなかったら多分泣き叫んでいただろう。
見たことがないほどやせ細った顔、どうしてこんなになったの。
あまりにも突然すぎる、こんなことがあるのだろうか。
そして、母、兄と話すたびに不可解な治療過程。
この時点では、お父さんのガンの治療の半分は治験治療の実験台にされていた。
最後は病院がよそよそしかったと、完全に医療ミスを疑っていたのだ。
→ 続く
