千日前、道頓堀 「だるま」かやくめし。
祖母亡きあと、いまはもう店はたたみ、ないのですが、ご存知な方はいらっしゃるだろうか。
大阪は南、ごみごみした町、千日前、道頓堀にだるまというかやくめし屋があった。

作家、織田作之助(1913-1947)の『夫婦善哉』のなかに、庶民的な店、自由軒、だるま、たこうめ、など老舗の店の名が記されている。
織田作(おださく)と呼ばれていた作家がこよなく愛した店だった。

だるまはわたしの母方の一家が経営していた。祖母は三代目。道頓堀の店を祖父と五人の子供を抱え、齷齪やっていた。

母の父(和中縫次郎)の父親が和歌山から大阪に出て、始めたんだ。
わたしにとって、おじいちゃんであり、ひいおじいちゃんだが、おじいちゃん(縫次郎)は戦争に駆り出され、33歳にパラオで戦死した。
だから、遺影でしか顔は知らない。

祖父は野球が大好きだったようだ。
そして、ダンディでお洒落、グルメだったと耳がタコになるくらい、聞いている
そして、得意は料理。
だから、祖母はよく「オトウチャンはなんで戦争に行ったんやろな」などと、いつも遺影を見ながら呟いていた。

「鉄砲より、包丁やったんや。そやから衛生兵しかでけへんかった」

おばあちゃんは大阪でいう「いとはん」と巷で呼ばれていた。
粋なご婦人って意味かな。

だるまのかやくめしというと、古い方は知っている。
芸人さんやら、作家、芸術家、役者たちが常連だったようだ。
わたしは産まれていない。

わたしはいま、この「だるま」のかやくめし屋を復活させたいなーと、考えている。
味を再現できるのは、いま、わたしの母だけだから、母から弟に継いでほしいと思っているのだ。