すみません、

しばらく休んでいました。

 

2024年の元旦は悲しいニュースで始まり、いまも続いておりますが、被災地の一刻もはやい穏やかな日常の回復を祈らずにはいられません。

 

 

正月やクリスマスが過ぎ去り、風邪が流行っているようです。

皆様ぜひともお身体ご自愛ください。

 

今日は、記念日について。

 

誕生日や何かの記念日などを覚えている方々を、僕は心から感心します。

周囲や自身への気配りがきく素晴らしい習慣であると思っています。

 

しかし、そう、

僕は全くそのようなイベントなどの日にちを覚えていることができません。

 

自分の誕生日も、興味がないのです。(一度、日付が変わる0時過ぎるまで気づかなかった年があったくらいです)

むしろ、昨日や一昨日と同じように誕生日や正月などを過ごすことができることの方を、僕は重要であると考えてしまうタチです。

 

再度申し上げておきますが、そのようなイベントを覚えている能力を僕はとても尊敬しています。

 

ですが僕は、どうしても昔から特別な日を作ることに抵抗を感じます。

それは、何でもない1日を無下に扱うことを認めてしまうことになるような気になるからです。

 

だから何の日でもない6月10日や1月11日なども自分の誕生日も何かの周年や記念日も、同じに過ごすことを大切にしたいと考えています。

 

そして大抵、日々の状態をワークアウト時の身体の調子によって、良し悪しを「感じている」節があります。

 

 

 

と、そうは書いたのですが、誕生日や年末の大晦日でのワークアウトでは、特別な感情に浸ることを今思い出しました笑

そこに感じるのは「積み重ね」だったり「加齢」だったりします。

 

一見、数字上のパワーや見た目の姿勢などには衰えなく向上しているのですが、神経系の各部位の反射的能力を確認していくと、ところどころに綻びを感じ、定期的なメンテナンスの必要性を感じています。

 

しかし、メンテナンスによっていくらでも調整が可能であることも、実証できていることに、先人の偉大なワークアウト研究と五体満足の身体に産んでくれた両親に、心から感謝できるのでした。

 

ありがたいです。

 

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。