晴れの日,雨の日、一年中を通じて同じ日はありません。

 

 

同じ晴れであっても日差しの違いや、風の具合、雲の流れと微妙に表情が変わります。いつまでも飽きない自然の絵巻物です。

 

 

 

朝の空を見るのが好きです。ニケがくつろいでいる間、私は木のベンチに腰掛けて見上げます。

 

 

今朝はたくさんのツバメが気持ちよさそうに空を泳いでいました。薄水色の空に黒のシルエットが影絵のようで、いつまでも眺めていられます。

 

 

 

1日の中でも日の出を待つ数分、神々しい光が海の向こうから現れてしばらく空の境目に何とも言えない優しい色が生まれます。

 

 

すっかり太陽が空に持ち上がると元気の出る青空。

 

 

 

今年は梅雨開け前から猛暑です。「命を守る対策をしてください!」とは何とも物騒な?世の中です。今朝のニュースでは温暖化を通り過ぎて地球は沸騰時期に来ているとか!

 

 

 

毎年美容院の軒先で子育てをしているツバメは飛び立ったでしょうか?
あの真ん丸で小さくてかわいい頭が五つ。親の帰りを待って兄弟仲良く息をひそめていました。親の気配を感じると思いっきり背伸びして我先に口を開けて催促する様子はちょっと感動すらします。


その中の一羽がほかの子より小さくて頭一つ分隠れていたのが心配です。

 

 


どうか無事に空を飛べますように、さっき見た公園で泳ぐツバメの中にいますように!

 

 

 

  大きなヤマモモの木の、その向こうにそんなに高くない山の緑が迫っています。

 

 

 

雲は早くもなく遅くもなく、綿菓子を引き裂いたようなものや、太い刷毛でなぞったようなもの、じっとそこにとどまることもなく流れています。ゆっくりと引っ付いたり離れたりしながらいろんな形になります。

 

 

 

うっすら海の方がピンクに染まってきました。そのず~と上の雲は未だ柔らかな光を当てられて乳白職のようで…。

 

 

 

もう数時間もすれば強烈な太陽がこの辺りを占領するのでしょう。こんな身近なところにも自然が造った芸術品のような風景があります。

 

 

 

毎年のようにこの時期、ニケは保冷剤をバンダナにくるんで首元を冷やしています。

 

 


家に戻るころにはすっかり柔らかくなって冷凍庫から新しいのを出して巻きなおします。

 

 

「今朝も暑くなる前に帰れて良かったー!」と言うようにお水をなめる音が小さいながらもリズミカルです。

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

        

いろんな場面で、力を貸してほしいと頼まれることはよくあると思います。

 

 

 

頼まれると嫌と言えない人もいますが、話を聞いて納得したなら協力してもいいと思う堅実な人もいるでしょう。

 

 

 

ところが頼んできた人の以前の行いや言動が協力しようという気持ちになれない場合があります。

 

 

 

頼んだ人に対して裏切ったり傷つけることを言って、自分は全く悪気がない。そんな人は結構います。

 

 

 

その時の自分本位の都合で行動していることをうっかり忘れてしまっているのでしょう。

 

 

 

相手はしっかり覚えています。離れてしまうほどではないにしてもこの人にはけっこう失礼なことを浴びせられたり、ないがしろにされたりと、傷つけられたことが度々あるということは、心の奥底にインプットされているものです。

 

 



受けた恩は忘れ、かけた恩は水に流さず???

 

 

月日は流れて、例えば、仕事。いいお話があって誰かを紹介する場合、先程の人には回ってきません。

 

 

 

知人がそのような体験談を話してくれました。何でも持ちつ持たれつ。

 

 

 

助けたり助けられたりしてこの世は成り立っています。小さな行いが後のビックチャンスにつながるか目の前を通り過ぎていくかは紙一重です。

 

 

 

こんなところにも日々の行いが影響します。

 

 

 

見返りを狙っての行動はすぐに化けの皮が剥がれるものですが、助けられたことは忘れることはありません。

 

 

 

「あの時は助かりました。いつかお返しがしたいと思っていました。」となりました。

 

 

「そんなことあったかなあ?」と思えるほど小さなことだったそうですが、お返しは彼女にとって仕事での大きなチャンスをくれました。

それを機会に仕事も順調で、今や関西で活躍する手芸家になっています。

 

 

 

もう一人は「今度新しい仕事を始めるけれどそのメンバーにあなたも加わってほしい。」と言われたそうです。

 

答えはNO!でした。

 

 

 

「この人が言うなら一肌脱ごう!」とはならなかったのです。その人は彼女の長年の顧客も抱き込んで自分のにと頭の中で勘定していたようですが、計算が外れました。

 

 

 

胸算用が外れて「どうして協力してくれないのか?冷たい人!」と言われたそうですが、はっきりとした理由は控えたそうです。

 

 


もう後の祭りです。そんなに人は、世間は、甘くないということです。

 

 

仕事だけに係わらず毎日毎日が積み重ね。いい日も落ち込む日もありますが、誠実に生きるということがキーポイント。

 

 

知らぬ間にチャンスを引き寄せるか手からこぼすかは、その人次第だと言えるかもしれません。

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

        

YouTubeである男性が親元から離れられない女性の婚活の相談に対して、

 


「結婚したけりゃ兄弟家族を捨てること」はじめ聞いたときは乱暴なアドバイスに驚きました。その手にまんまとハマってついつい見てしまいました。

 

 

 

また、1000万円以上の年収を望むアラフォーに「だから結婚できないんだよ。」ハッキリ言い切っています。

 

 

 

年収の件はおいておくとして、家族を捨てるってどういうことでしょう。

 

 

 

女性の結婚相手は、親も気に入っている人。これからも親孝行がしたいから、実家から近くにお嫁に行きたい。

 

 

 

男性は両親に優しくて彼ら面倒をみてくれる女性がいい!それは昭和の時代の話だと思っていたらまだこの令和にもいたことに驚きます。

もちろんこれらは言葉に出さずとも当たり前の事。それはベースであって結婚相手への条件にするにはちょっと筋違いではないのでしょうか。

 

 

 


もう一方では結婚しても、母親には、ちょくちょく来てもらって、いろいろ教えてほしい。

 

 

 

というよりは家事や子育ての手伝いをしてほしいと堂々と言う女性の多いこと。

 

 

 

私なりにこのユーチューバーが言ったこと考えてみました。

 

 

 


家族を捨てるとは少々乱暴ですが、意識を新しい家族にむけることと言い換えることかもしれません。決して縁を切ることではないでしょう。

 

 


あなたがこの世に産声をあげて以来、家族は唯一無二の存在です。

 

 


それはどちらかが地球に存在しなくなってからも心の中で生きています。

 

 

 

結婚とはあなたがその温かい家庭を作るために、親元から巣立つということかもしれません。

 

 


両親と新しいパートナー。

 

 

過ごす時間がおのずと違ってきます。



最初はいいところばかり見ていたのに、しばらくすると合わないところや嫌なところも出てくるのは当然です。

 

 


そんな時ふと実家を思い浮かべて里心が湧いてくるのは女性の方。「結婚しなければよかった!」

 

 



男性はあまりそんな感情は生まれないようです。それはおとなだからなのか、どうかは解りませんが…。中には母親の代わりと捉えてる男性もいます。

 

 

 

将来、家族を作って子供を育てる姿は、親孝行の一つだと思います。

 

 


愛情深く育ててくれた恩を今度は新しい家族に向けることは自然なこと。

 

 

両親への気持ちがうすらいだようにみえてもそれは何も悪いことではないように思います。

 

 

それが家族を捨てることと同じとは思えませんが…。

 



新しい人生を歩むということはそれぐらいの覚悟が必要ということなのかもしれません。

 

 

愛しい人が増えることは何とも幸せなことです。

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

        

最近は分からないことがあればすぐにスマホ!便利な世の中になりました。

 


レストランに行けばあちこちのテーブルでインスタ用の撮影会。

 

 

モデルはお料理やスイーツ、華やかなママたち、はたまた街角では可愛い洋服姿の犬たち。手軽に保存もできて簡単になりました。

 

 

 

そんな便利なものが無かった時代「これってどういう意味?」「なんて読む漢字?」と聞くと決まって母親は「辞書で調べなさい。

 

 

 

その方が忘れないよ!」と返ってきました。「なんだか面倒くさいなあ~。さっと言ってくれたら早いのに」と心で愚痴りながら調べましたが、なるほど!苦労して見つけた意味や漢字は忘れることがありませんでした。

 

 

 

ところが今はあらゆることがパソコンやスマホで検索!あっという間に私がほしかった情報が出てきます。優れものに感心!ありがたい時代です。辞書はどこへ行ったやら…。

 

 

 

しかし気になることもたまにあります。

 

 


全員が1つの映えるものを楽しそうに撮影するのはいいのですが、温かいお料理が運ばれて来てシェフの説明もそっちのけのグループやデート中でしょうか、女性が相手も眼中にないぐらい夢中になってパシャパシャ。

 

 

 

男性は待たされて、黙っていますがきっと彼女に対する熱はずいぶん冷めただろうと思われる場面もあります。

 

 

家族でも食事中それぞれがスマホをいじりながらの食事って!私の中ではありえません。

 

 

 

 ある女性の検索する速さは驚くぐらい。俊敏に調べます。中年でも使いこなしているようです。テーブルの傍らにはiPhone。

 

 


話の途中でもさっさとスマホを出して検索!答えをみんなに披露します。

 

 

 

さして正確な答えが知りたいわけでもなく必要でない場合もお構いなしで会話を中断させます。見つけた時の得意げな顔は、少々…。

 

 

ある時おうち近くの自販機でトマトをみんなに買ってきてくれた人がいました。甘くておいしい!「どこの?」と聞いたとたん検索。瞬くままに「出ましたー!」その説明文を音読します。

 

 

 

なんだかシラ~とした空気が流れました。なんとなくデリカシーのない人!と取られても仕方がない雰囲気が漂いました。自分は良いことをしたつもりが場がしらけるとは報われないものです。

 

 

 

これは私たちの年代だけがそう感じることなのかもしれませんが、若い人は気にならないのでしょうね。

 

 

会話は情報より気持ちを載せて盛り上がるもの。

 

 

楽しむということが前提です。スマホ依存症と言う言葉も生まれましたが、時にはoffにしてみるのもいいかもしれません。



 おとなが子供に「いい加減にしなさい!」とスマホを取り上げるシーンを見かけることがありますが、おとなだって片手にスマホを触りながらの食事をしている場面もあるようです。

 

 

 

友だちは「もう食事を作る気が失せた。」といい会話のない食事だそうです。

 

 

そんなことを聞くとなんだかちょっぴり寂しく感じるのは私だけでしょうか?

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

        

勉強や仕事が何となく重たい時、少し休憩して「さあやる気を出して!」と自分にむち打っても一向に気合が入らない時ってありませんか?

 

 

 

それは面白くないことと決め付けているからかもしれません。

 

 

 

だからと言ってしなくていいやと流すことが出来ない方が多いのがこの世の中…。

 

 

 

私も今までに「こんなことやりたくないなあ」と思ったことはゴマンとあります。

 

 

 

それは日常でも顔を出して、小さく挑戦してきます。しかしそんなとき、「こんなの無理!」と決め付けてしまうということが不思議とないのです。

 

 

なぜだかわかりませんが、「ハイハイ、これをこなせばいいんでしょ!」と自分で突っ込んだり、今は嫌でもいつの間にか面白くなることの方が多かった経験から、まずはやってみようとなるほうです。

 

 

 

失敗しても命は取られないとは少々大袈裟ですが、未知のことを知ることの面白さを知ったからです。

 

 

 

何をするにも好奇心。これ「これどうなってんだろう、どういうこと?」と思えたらどんどん興味が湧いてきます。

 

 

 

その感情をアウトプットする前に、「無理そうだけれど気合で乗り越えよう!」なんて精神論が先に出るとだんだんつまらなくなるし本当は役に立つことなのに知る前に頓挫してしまいます。

 

 

 

「まずはやってみよう」も大切。それ以上に「こんなことしたことないけれど面白そう」と思えるかどうかです。

 

 

 

子供でも新しいことにすぐに興味を持つ子と、消極的な子。様々ですが、親が、兄弟が、友達が、だれでもいいのです。

 

 

 

「面白そう!」という魔法の言葉を投げかけるだけでうんと違ってきます。

 

 

 

結果はその次。最初から、結果の分からない方が多い世の中です。

 

 

 

おとなになってもなかなか行動しなくて、考えすぎる人をよく見かけますが、それをするには勇気がいる、とか人がどう思うか、失敗しないだろうかなど、かってに自分を過小評価していたり、そんな姿を見られたら格好が悪いと言ったくだらないプライドからきているように思います。

 

 

 

この世は楽しいことがいっぱいあるのにそれを知るチャンスを自分で逃していることがあります。

 

 

 

食べず嫌いもその一つ。苦手!と思っていてもまずはトライ!

意外といける場合もあるしやっぱり苦手となることもやはり。

 

 

 

答えはフィフティー フィフティーです。

 

 

答えが分かればそれも良し!です。

 

 

面白そうという好奇心を持って周りを見るようにしたら毎日がもっと楽しくなりそうです。

 

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

        

お見合いが決まって日取りを決める時、「この日はジムに行く日!」「この日は友達と遊ぶ日。」となかなか決まりません。

 

 

 

婚活をしているなら何が何でもお見合いでしょ!とはいきません。

 

 


「1年間はお見合いを中心に生活しましょ!」とは机上の空論とまでは言いませんが理想どうりにいかないのは本人の優先順位にかかっているようです。

 

 

 

敏腕仲人は「何しろお見合い優先でこの一年過ごしなさい!」そう指導するそうです。

 

 


もちろん一日も早く良縁を見つけるためにはお見合いと言うワードが生活の中心になるときは必要です。

 

 

 

日程の中に友達と遊ぶ?とはなんだか不謹慎と捉えるようです。

 

 


ある程度の年齢になると自分の生活が心地よい方向にどんどん傾いているので一定のパターンが出来上がります。



もちろん婚活を始めたからにはそこにお見合いの日と言うのも盛り込まれますから、同じ1年、1週間なら何かを押しのけてそこにはめ込む必要があります。

 

 

 

敏腕先生は何が何でも最優先にしなさい!ということらしいです。
たまに会って指導するそうですが、こと細かくこうすれば受けがいいとか髪型服装に至るまで…。

 

 

 

お見合いと言えるのは相手が決まって、初めて顔合わせをする一日だけのことです。

 

 

何度か会って真剣に結婚を考える相手に「今日は…。」と自分の都合ばかりを優先したなら相手も「この人本当に真剣に考えているのだろうか?」となりますが、相手にそれだけ心が傾いていないからなのかもしれません。

 

 

 

今日は4回目のお見合いをする男性がいます。

 


だんだん自信が湧いてきているように見受けられます。

 


婚活を通じて、周りの事を見渡せる視野が広がったようにも思えます。

 

 

11時に待ち合わせ。始めて会うので、相手は水玉のスカート、こちらは「雑誌を右手に持ってます。」と相手仲人に伝えています。

 

 

 

最初は目印の物を持つことさえ嫌がっていたのに昨日あった時は母親も丁度居合わせて、いろんな話が出来ました。別にお見合いの事ばかりではなくて日常の事。なんだかいい空気が流れていました。

 

 

 

帰り際「雑誌忘れないようにね!」というと「これいいアイデアですね!駅で旅のパンフレットをもらって帰りには捨てられるし…。」初めて肯定的な答えが出ました。

 

 

 

そのパンフがいつかは一緒に行く旅の!となればいいのですが、
何しろ楽しんで新しい出会いを大切にしてもらいたいものです。

 

 

 

今朝は少しひんやりとした風が吹いていました。日の出前の1時間。この季節ニケとの散歩は貴重です。とはいってもまだまだ汗はたっぷりとかいています。この暑さも生き物や草花には大切なこと。

 

 


私も負けずに一度きりのこの夏を楽しみたいものです。

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

        

誰にでも大切にしている、大切に思っていることがあります。

 


孫が公園で一生懸命拾っていたドングリ。その時は彼女の一番大事な宝物でした。

 

 


嬉しそうに走って、いくつか小さな手から零れ落ちたのも気にもせず、まっしぐら、そっと手のひらにのせてくれました。

 

 

 

みんなそうでした。

 


私も山で、河原で、見つけた可愛い葉っぱやしろつめ草を大切に持って帰りました。

 

 

 

着くころにはぐったりしていていましたが、それをお水を入れたちいさな瓶にさしてくれたのは、その時にいた家族です。

 

 

 

「これで大丈夫!すぐに元気になるわ」最初のころは信じられませんでしたが、何度となくよみがえった姿は、私をますますあれも、これもと見せたい一心で、持って帰りるようになりました。

 

 

 

子供たちもドングリや、石?を大事そうにズボンやスカートのポケットに入れていましたっけ。

 

 

洗濯の時ゴロゴロと出てきたときは一生懸命集めていたであろう姿が浮かんであとで返そうと思うのですが、すっかり忘れるのは、子供も私も同じです。

 

 

 

思い出の品を捨てられない人がいます。部屋いっぱいになって整理しようと張り切りますが、一つ手にしてはそれが語る昔話が出てきて、捨てられない。

 


洋服も、食器も大きなものでいえば、家も。

 


古くなって、維持するための大変な修理費用がかかっても、「お父さんの建てた家だから私の生きている間は!」となるのですが…。

 

 

 

果たしてご主人はそれを喜んでいるかどうかは分かりませんが、それが彼女の心の支えなら、あり!なのかもしれません。

 


私は残された人が、毎日笑って暮らしているのが一番の供養だと思っています。

 

 

ものにこだわらないことはけっして大事にしない粗末に扱うことではなくて、その人が生きることに必要であったり、心の支えになったり、励ましてくれた時に寄り添ってくれたことを忘れないことだと思っています。

 


形のあるものは永遠ではないけれど、心の中では永遠です。

 

 

 

 

たいせつなものは、凹んだ時には元気をくれて、これまで静かに応援してくれました。

 


心の引き出しに限界はありません。壊れることもないしどんなものもしまっておけます。

 

 

不思議と物忘れがひどくなっても大切な思い出をいつでも引き出す能力は残っているようです。

 

 

 

日曜日の朝、ゆっくり起きてきた息子は頂いたハムでブランチのサンドイッチ作りに張り切っています。

 

 


 もうあのドングリのことはとっくに忘れているでしょうが、夢中になっているときの横顔に面影が残っています。

 

 

 

蝉はまだ静かに鳴いています。メダカの水槽の水面はゆれて元気に泳ぐ様子を部屋から見ることが出来ます。

 

 

少し背が伸びたオリーブの木を切りました。オリズルランは幾つも子株を付けて先の小さな白い花が風で揺れています。

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

        

何か行動する前から「失敗したらどうしよう。」としり込みする人がいます。

 

 

 

やってみないとわからない。でも失敗したらかっこう悪いしみっともないと躊躇してなかなかはじめの一歩が踏み出せないようです。

 

 

 

世間体、人の目を気にする人の多いこと!でも他人はあなたにそれほど興味はなさそうです。

 

 

 

特に若い時は失敗覚悟でどんどん挑戦すべきです。失敗は成功の基なのですから。

 

 

 

それは小さな時の親の教育、接し方も影響するような…。失敗を恐れないようになるかまた叱られるからやめておこうと消極的になるかのどちらかです。

 

 

 

優等生に育てようとなんでも先回りしてお膳立てをする親、子供はかえって意欲を失くします。最初から自分でやっていないので、答えを出す手前だけを与えられても達成感のない結果となります。

 

 

 

だんだん自我が出てきて自分でやってみたい、頼らなくても自分でできるという意欲が湧いてくるものです。小さな頃なら2歳から始まるいやいや期。

 

 

 

大きくなってくるといろんな感情や考え方が育ってきます。

 

 

 

結果が付いてこないと、親の落胆する顔や期待に応えられなかった悔しさがごちゃごちゃになってやる気スイッチはどこかにうずもれてしまいます。自分でダメ人間の烙印を押します。

 

 

 

褒めて育てる。厳しくしつける。

 

 

 

どちらが正解かは分かりません。

体罰は論外ですが、時には厳しく、うまくいった時は一緒に喜んで褒めてあげると言った塩梅は大切なようです。

 

 

 

のびのびとした環境で育つと、失敗しても大丈夫!また挑戦しようという気持ちが湧いてきます。

 

 

 

またあまり失敗を経験しないで育つと、人生はそんなに甘くはないという洗礼をおとなになってから下されることがあります。それこそなかなか立ち上がれない。

 

 

 

「私、失敗しないから!」とはなかなかいきません。

 

 

 

木曜日の夕方、少し涼しくなって、たくさんの子供たちが公園で遊んでいました。

 

 

 

サッカーや野球の猛特訓!親の方が熱くなって鬼コーチ。

 

 

 

鉄棒の逆上がり。何度も失敗してももう一度。そのうちくるっと!その時の達成感はいつまでも覚えているでしょう。覚えてなくても自信になったはず。

 

 

 

ちょこちょこ歩いてきてこわごわニケに近づくと、撫でた時のふわふわに嬉しそうな赤ちゃん。

 

 

 

自転車の補助輪を外してぐらぐらしながらペダルを踏む男の子をみんなで応援しています。

 

 

 

何度も横倒し。転んでももう一度。見ている私はそれだけで少々感動して…。涙腺が最近緩くなりました。

 

 

 

失敗上等!私もいまだに失敗ばかり。まだまだ修行中というところです。

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

        

喫煙する人にとっては神戸は住みにくくなっているかもしれません。

 

 

レストラン、カフェ、いろんなところで禁煙!

 

 

街角の隅で喫煙するおじさんたちは肩身が狭そうです。

 

 

 

ずいぶん昔、とある場所でカフェをしていましたが、食器の音やコーヒーを点てるサイフォンからのいい香り、心地よいボサノバのBGM、そしてそれぞれの席から聞こえる話し声、くゆるたばこの煙が好きでした。

 

 


カウンターの常連さんは毎朝、10時、食後の一杯。そして仕事終わりにデートの待ち合わせ場所として来てくださいました。

 

 

 

時には恋愛相談にもなったりして…。

 

 

最後の日にはいつものコーヒーカップ。飲まれた後、丁寧に洗って記念にお渡ししました。

 

 

店の中は花束でいっぱい。本当にこちらこその幕切れでした。

 

 


そんなつかず離れず、昭和の喫茶店やカフェにはお客さんとのいい関係があったように思います。

 

 

それは近くて遠い光景です。

 

 

もっと昔、三宮のセンター街に「G線」と言う喫茶店がありました。

 

 


当時はとてもモダンで壁はサルバドール  ダリの絵のような斬新なペインティング。その大胆な赤と黒。地中海の青。

 


真ん中には螺旋階段。
広くはない店内はいつも満席でむんむんしていました。それが心地よいというのをその店で感じました。、私はよく叔母に連れて行ってもらいました。

そこで食べるチョコレートバフェ。叔母たちはフルーツサンドにコーヒーが定番。おとなの中で育った私は、その中にいることが好きでした。

ちょっとその仲間入りをしたようなませた子供でした。

 

 

子どもが大好きな不二家のパーラーも良かったですが、「G線」はなんだかドキドキするような場所でした。

 

 

それは怪しいとか危険なと言う意味ではなく、あとから思うと異国の雰囲気を感じていたのかもしれません。

 

 

そんな個性的なお店がセンター街からどんどん消えて行ってしまって少々さみしさを感じますが、今復活したらどうでしょう。

 

 

若い人に受け入れられるのでしょうか?

 

 

喫茶店も時代とともにその様式を変えています。

 


それはスターバックスがやってきたころからのような気がします。

 

 

静かに本を読んだりパソコンで仕事をしたり、一人でゆっくり楽しむことが出来る空間は同じでも、独特のゆったりしたソファや落ち着いたインテリア、家にいるようなくつろぎ感は照明を落とした中で味わえます。

 

 

 

どちらもその時の気持ちで選ぶことが出来ます。

 


神戸はいろんなカフェや喫茶店があちこちにあって美味しい珈琲を飲むことが出来ます。

 

 

お気に入りは誰しもいくつかあるようです。

 

 

友だちの○○さんとは「茜屋」お見合いの待ち合わせなら「にしむらや」をお勧め。

 

 

路地裏のカフェもいいし、大丸の「カフェラ」も素敵!そんなくつろぎの喫茶店へ行く時、ニケはお留守番です。

 

 

 

一度連れて行ったら足元でおとなしく寝そべっていましたが、なんだかこちらが落ち着かなくて…。

 

 

いろんな方がニケに話しかけてくれるのですが飼い主の方が気を使ってゆっくり楽しめませんでした。

 

 

今日は北野のスタバで大好きなシナモンロール、少々罪悪感を感じながらほうばることにしましょう。私の小さな楽しみです!

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

        

結婚する、しないはその人次第!結婚したいなら応援します。

 

 

だから「何が何でも、乗り気がなくても成婚させる相談所ではありません。」これが結婚相談所ニケクラブの考えです。

 

 

 

生き方の選択の一つに結婚があることに重きを置いています。

 

 

 

その人の生き方は何であれその人のもの。基本は自分で決めることだと思っています。

 

 

 

会員は全員個性豊かです。でも出会いがない理由に何かしら共通点があります。

 

 

 

一つは母親とのかかわり方。仲のいい人ほどなかなか結婚したいと思える人が現れません。これは男女とも同じです。

 

 

 

私は小さい時、母に厳しく育てられました。

 

 

 

高校生のころは親から離れたいのに離れられない。尊敬はしているけれど反発するといった相容れない感情がありました。

 



親からの自立。それは自然な感情で成長した種がはじけて地面に根を張るようなものでした。

 

 

 

私の母が薄情だったわけではけっしてありませんが、あまりべったり甘えた記憶がありません。

 

 

 

今から思うと一人の人間として接してくれていたのかもしれません。決して子ども扱いや赤ちゃん言葉⁈で向き合いませんでした。

 

 



愛情深い母親とはいつまでも子供を守らなければという責任感の強い人です。

 

 

育てられた人の中には依存症となって居心地の良さに満足してしまう場合があります。だから結婚する必要がないのです。

 

 

 

しかし必ず異性を好きになってその人と人生を歩みたいと思える時が何度かやってきます。

 

 

 

そのタイミングを外すと元の居心地のいい巣に落ち着くことになってしまいます。また飛び立とうとするのに自分の寂しさのあまり足を引っ張る親もいます。

 

 

 

そこで相談所の門をたたくことになるのですが、母親が言う息子や娘の考え方と本人の本当はだいぶずれがあります。

母親も自分の年が気になるころになると特に娘は世に言う適齢期を過ぎてしまってふたりは慌てだします。早く結婚したいと思っていても出会いがないといいますがそもそも家が好きすぎて、母親が好きすぎて子供が可愛すぎて外に目が向かなかった結果です。

しかし何をするにも遅いということはありません。適齢期は人それぞれ。これこそご縁です。

仲人がお見合い相手を見つけて結婚させるのが一般ですが、ニケクラブでは会員が登録している人から自分で探します。まずは希望に合った人を申し込みますがことごとく…。

 

 

反対に申し込んでくれた人は…。でうまくいきません。そこで合いそうな人を奨めます。嫌ならスルー、会いたいなら相手に申し込みます。何しろ一度は会うこと。これが入り口です。

 

 

 

私のお勧めは必ずしもその人の希望と合わないときもあります。

 

 

 

親未満で友達以上の感覚で探します。

 

 

お見合い条件は女性なら相手に学歴、身長、年収が三種の神器、男性は何しろ外見といいますが「そんなこと言っているから結婚できないんだ!」と諭す役目かもしれませんが、私はぜんぶOK!これでうまくいけば大成功だからです。

 

 

なかなかうまくいかなければひとつづつ見直せばいいことです。

 

 

 

会員が出した難関不落の条件を叩き潰すのではなく相手の何か一ついいところが見つけられる心の余裕を育てるお手伝いをするのが仲人だと思っています。

 

 

 

会員がお見合いから交際に進んで成長するのを見るのは嬉しいことです。

 

 

今日もいい日にしましょう!