5.1 クラブ
5.2 個人
6 代表歴
7 関連項目
8 出典
9 外部リンク
来歴[編集]
ブラジル時代[編集]
初めてクラブチームに所属したのは17歳の時で、ブラジル人としては比較的遅い。プロになった当初は体重50kg程度と余りに痩せていた為、大成するとは期待されていなかった。しかし徐々に頭角を現し、1997年に強豪ゴイアスECに移籍すると7シーズンの長きに渡り、同クラモンスタータービン Pro アディゼロf50 で活躍した為に看板選手となる。ゴイアス時代の通算136ゴール(州選手権やカップ戦など含む)はクラブ歴代トップの成績。「ゴイアスの至宝」や「マタドール」との異名をとった。1998年にはセレソンにも初選出されたが、若くてムラッ気がある選手という評価で代表に定着はできなかった。ブラジル時代のアラウージョは、どちらかと言えばシャドーストライカー(セカンドストライカー)タイプの選手で、球離れが悪い典型的ドリブラーだった為にサイドハーフなどフォワード以外のポジションで起用される事も多かった。
Jリーグ時代[編集]
2004年、清水エスパルスに入団。この知らせを聞いた前年のJリーグ得点王ウェズレイ(当時名古屋所属)は「あんな凄い選手がJリーグに来るのか」と驚嘆したと言う。しかしアラウージョにとって初めての海外でのプレーでもあった2004年シーズンは、1stステージこそ北嶋秀朗、久保山由清とトライアングルを組みチーム最多の8ゴールを挙げたが、石崎信弘が監督に就任した2ndステージは戦術面を理由に主力構想から外され、公式戦5戦連続でスタメンを外される等本領を発揮出来ず結局1ゴールのみに留まった。