(プレジデントオンライン)
PRESIDENT Style 掲載
■僕たちの世代に残された使命がある
1970年、31歳にしてBIGIを設立。その後、MEN’S BIGIではパリに進出しコレクションを発表。84年には自身の「TAKEO KIKUCHI」ブランドを立ち上げ、DCブランドブームの中心的存在となる。2005年には自らのディレクションによる「40ct & 525」を始動。同年クールビズ推進協議会共同代表も務め、「COOL BIZ collection 2006」のデザインを手掛ける──。
日本にファッションカルチャーを根付かせたパイオニアであり、この40年にわたってファッションシーンを牽引してきた第一人者、それが菊池武夫氏だ。2003年を境にTAKEO KIKUCHIから離れ、ファッション業界の第一線から退いたかに見えたが、2012年5月にブランドに復帰。なぜいま復帰を果たしたのか、そしてなにをやろうとしているのか。菊池氏本人へのインタビューからは、氏の生き様が垣間見える。
──編集部(以下省略) 9年ぶりにTAKEO KIKUCHIに復帰されました。復帰までの経緯は?
菊池氏(以下省略) 2003年にTAKEO KIKUCHIのクリエイティブディレクターを後任に引き継ぎました。なにか問題があったわけではないのですが、同世代のデザイナーがつくったもののほうが消費者の共感を得られると思い、若手のデザイナーを起用することにしたのです。その後、私は1年ほど休養を取ってから、40代以降の洋服に対して真剣に向き合うことにしました。ブランドを立ち上げる構想を1年かけて練り、2005年に40ct & 525というブランドを立ち上げました。TAKEO KIKUCHIは私が辞めた後も順調だったのですが、ブランドを長く続けていると壁にぶつかることがあります。その壁を乗り越えるために、あとは社会情勢などいろいろと考慮した結果、復帰することに決めたのです。
──復帰された一番の理由は何でしょう?
僕らが若かったころはみんな情熱がありました。ものづくりにも生き方にも情熱があって、それが力になって前に進んでいた。人がやっていないことで、なおかつこれからの時代に受けそうなことをいつも探し求めながら、ファッションだけじゃなくて社会全体を改革したいというような気持ちがありました。そういう世代の人間からすると、いまの若い人は優等生すぎる。情熱があまり ナイキ SB じられないし、夢も持たない人が多い。だから自分から外に対してエネルギーを発することがないのだと思う。僕が若いころは、外に対してエネルギーを発して、自分がどういうことを考えていてなにをしたいかということを明確にしたい気持ちがあった。そういう仕事の仕方をいまの時代に残したいという思いがありました。
──若い人に向けて発信したいことがあったと。
いまはテクノロジーばかりが優先して、人間らしさ、人間くささをあまり感じなくなっている気がします。知識はあるんだけど、実体験が伴っていない。バーチャルな世界で終わってしまう。そうではなくて、五感を使って体感することや、人と人が本気でぶつかり合うことが必要なのではないかと思うのです。そういう経験を積んできた世代、テクノロジーが発達していなかった時代を生きてきた僕たちの世代が伝えるべきことは、まだかなり多くあると思うのですよ。
■結果を気にしていたらなにも始まらない
──昨年、TAKEO KIKUCHIの明治通り本店がオープンしました。それまで仕事をしたことがなかった建築家の長坂常さんを起用して、しかも要望は2つしかおっしゃらなかったと。
長坂君に会って話をしたら、直感的に大丈夫だと感じたのです。もちろんプロジェクトを進めながら修正していくことはありますけど、まずは相手を信頼しないとなにも始まらない。万が一、失敗したらまたやり直せばいいとしか思わないんですよね。いつもこういう仕事の進め方です。だからリスキーという言葉は僕の中にはほとんど存在しません。今回のショップはたまたま長坂君が優秀で、思い通りにやってくれたのですごく満足しています。
──菊池さんはこれまでの仕事でもけっこう無茶なことをされてきていますよね。
よく言われます(笑)。でも成功したにしろ失敗したにしろ、自分が情熱を注いだことは人の記憶の中に残るものですよ。それがいま必要なのかなと。最初から結果を気にすることはないと思うんですよ。やりたいことがあるからやる、表現したいことがあるから表現する、それでいいと僕は思うのです。結果は後から自ずとついてくるものですよ。
──菊池さんの現在の仕事内容は?
週4~5日は、ここ明治通り本店か青山にあるワールドの本社に行きます。僕がかかわっているのは創作活動のみです。僕個人でやるクリエーションと、チームでやるクリエーションがあるのですが、チームの方向性を定めていくのが大変。セクションごとに話をしなければなりませんし、この9年のブランクの間にシステムも人も変わったので、すべて一からやっていくわけです。
この明治通り本店にしても、僕から見ると改善点はまだまだあります。商品構成から店舗運営、販売促進の方法など、それぞれの担当者からアイデアが出てきて、話を聞いていると役立ちそうなことがピンとくる。それを吸い上げてより良くしていくのがいまの目標です。ただ、仕事はそれだけはなくて、もちろん僕のクリエーションもあるから、会社にいるかどうかはあまり関係なく、ほぼ一年中仕事に身を置いている感じです。でも性に合ってるんでしょうね、あまり気にならないんですよ。
──9年のブランクがあって、それをもう一度奮い立たせて新しいことに立ち向かうというのはすごいことですよね。
ブランクを埋めるのはものすごく大変な作業です。たとえばスポーツ選手なんかは、シーズン中は体も精神も勝負に捧げていて、オフのときも休んではいるけど、オフの間もきちんとトレーニングを継続していますよね。継続していないと気付かないことはたくさんあるし、ブランクをつくってしまったらそれを取り戻すには2倍3倍の労力がいる。ただ、僕の場合は、普段からファッションに接していることが多いのでブランクはそれほどありませんでしたね。
──今後やってみたいことはありますか?
クリエーションにはいろんな刺激があります。ファッションだけの世界、アートだけの世界じゃない。すべて社会の中の歯車の一部ですから、その中でいろんなことを感じていたいし、また、自分が共鳴するものを持った人と一緒に仕事をやっていきたい。
ただ、最初にお話ししたように、情熱を持って人間らしく生きる生き方もあるんだということを、若い人たちに認識してもらいたい。必ずしもそういう生き方をしてほしいわけじゃないんですよ。ただ認識されないのは困る。認識してもらうところまで一緒にやりながら、仕事を成功させる、結果を生む。それが僕の使命だと思っています。そのためなら、デザインや知識、僕が持っているすべてを捧げるつもりです。
──若い人たちの反応はいかがですか?
手応えは……まだあまりないですね。何となく僕に合わせている。彼らが本気になるかどうかの問題だからはっきりとは分かりませんが、まだあまり感じていません。けっこう忍耐力を持ってやらないと伝わらないかもしれませんね。彼らが感じ取ってくれれば嬉しいですが、いまのところ自信がない。でもそれはある程度仕方がないことですよね。時代も違うし世代も違うわけですから。ただ、僕が発信し続けるということが重要なのです。
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