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hello,good-bye,again~ぽり子ログ~

二児の母にして、30代にして、Kis-My-Ft2…ニカちゃんこと、二階堂高嗣をひっそり…でも全力で応援してます(*^^*)

子供の事…キスマイ事…
漫画のこと…実父の病気の事…愚痴やボヤき(笑)

とにかく日々の出来事を自分のペースでゆるりと更新。

多系統萎縮症の父の近況ごとです。
長文になりますので興味のない方はお戻りください。


11月30日の朝のこと。

ちょうどこの日は仕事でお休みでした。下の娘の風邪がまだ治らないってことで、
学校遅刻して午前中に追加のお薬をもらいに行く予定でした。

8時になりそろそろ早めに出ようかと思った時に母から電話。
『お父さんが起きない!揺さぶってもなにしても反応がないの!』と母。

私『え?!どういうこと?息してないの?』

母『息はしてるけど、呼んでも起きない!血圧測ろうと思ったけどエラーになって測れないし。』

私『とりあえずいつもと違うなら救急車呼んだ方いいよ!私もすぐ行くから!』

そう言って電話を切り実家へ。
実家へは車で10分ほど。
到着して部屋に入ると、父は介護ベッドで上体を60°ほど起こしもたれ掛かっていました。
目はつむり、顎は少しあげ、口は開いた状態でイビキのような音を小刻みにたてていました。

兄は父を揺すりながら『お父っ!』って繰り返し呼び。

母は病院に行く支度をしてる。

まだ救急車も呼んでいない。
私は母が家庭用血圧測定器がエラーになると言った言葉を思いだし、
父の手首で脈を確認しようとしたが、
わからない。
指の感覚ではわからないほど脈が弱いと判断した私は、頭に酸素もいっていないと思いもう一度、今度は強く救急車を呼ぶよう叫びました。

母と兄は戸惑いながら救急車に連絡。
10分程で救急車は来ましたが、父を車内に運んでから20分…それ以上その場で停まったまま。
移送先を探してたみたいです。

結局今日はたまたま月1の通院日で担当医もいるとのことで掛かり付けの病院に運んでいただきました。

私も車で後を追い病院へ。

病院につくと母が居ました。
父は処置中とのこと。
救急車の中で聞いた隊員さんの話では、
血圧はやはりだいぶ低かったと。
呼吸が浅く、低酸素状態に陥り意識が無くなったのだろうということ。

母の話を聞けば、前日は調子もよく母のお買い物にも珍しく付いていき、
パチンコにも行き、夕食ももりもり食べていたと。
疲れたからとその日お風呂に入らず寝てしまったと。

毎晩夜中に大量の汗をかく父を母は着替えさせるのですが、
最近は着替えの時も、父はイビキをかいて寝てるままのことも珍しくなかったらしい。
その状態で着替えさせるのはいつも大変だったと。
昨夜もそんな感じだったが、今考えるとその時既に今朝の状態だったのかも。

いつもは遅くても6時に起きる母が、その日に限って爆睡してしまい次に起きたのは朝の8時。

私がもっと早き気づけば良かったと話す母に私は『誰のせいでもないよ、一人で判断するの難しいよ』と話すので精一杯でした。

そして主治医から話が…と別室へ。

まずは今回どうしてこうなったのか説明。
多系統萎縮症の特有の症状の一つで、気管支が虚搾を起こしたのだと。
気管支が狭くなったことで十分に酸素が行かず意識を失ったと。
気道を確保するため挿管するのに、気道がだいぶ硬く、手こずった事。
今血中酸素が少しずつ回復してるが、
どのくらいの時間、低酸素状態だったかわからないので
脳のダメージが心配だと。

もしかしたらこのまま目を覚まさない可能性もあること。
その時は延命治療どうしますか?ということ。

たとえ目が覚めても障害が残る可能性もあること。

肺に沢山の痰が絡んでおり、肺炎の起こす可能性もあること。

先生から出る言葉の数々でいかに状況が悪いのかはすぐ理解できました。

とにかく入院の手続きをしてくださいとの事で母は手続きへ。

私は病室へ移動する父についていこうと待合室で待機してました。

『今日がやまです』ドラマでよく聞くこのセリフ。
まさか自分が聞くなんて思いもしなかった。

娘の手前涙をこらえてましたが、今立ってるのがやっと。

そこへ一人の看護師さんが駆け寄ってきました
『お父様、今目を覚まされましたよ!!』

急いで処置室へ向かうと、父がゆっくり目を開けました。
看護師さんが手を握り『強く握れますか?』と確認するとピクリと動き、
反対側も。
足も動きました。
涙が止まりませんでした。

目を覚まし手も足も動いた!
これでひと安心だ!
なんてほっとしたのもつかの間。

再度先生の話を聞くと血圧がまだ不安定だし、まだ安心はできない。…と。
血圧が上がらない場合、無理に上げる点滴すら延命治療にあたること。強い薬でリスクもある。どうしますか?と。

私は母と兄の判断に委ねました。
目を覚ましたから大丈夫。と安心したけどそう簡単な話じゃなかったみたい。

父が生きるには気管切開しかないのだけど、
まずは容態が安定しないと話が進まない。
こればかりは祈ることしかできませんでした。

付き添いはいらないと、病院からは言われましたが1日目は母が泊まり込みで付き添いました。

2日目は家族の後押しもあり、私が付き添いました。
居てもね、なにも出来ないんだけどね。
痰が絡んで酷そうな時にナースコール押したり、汗を拭いたり…。

先生の心配をよそに父の意識はしっかりしてました。

挿管してるので話はできないけど、文字盤や筆談で教えてくれました。

急変した日のことは全然覚えてないみたいです。
苦しい思いをしたんじゃないか?と心配だったのですが、
本人は、苦しい…という間もなく意識を失ったようでした。

夜寝ていて、気づいたらこの状態!?みたいな。

それを聞いて少しホッとしました。

不思議な事も教えてくれました。
急変した時?夜中かな。
亡くなったじいちゃん(父のお父さん)が来たらしいのです。
『まだこっちに来るな!』と怒られたようです(笑)
しかも、枯れたお花を持っていたとか。

2日位は安定してたのですが、
3日くらいたつと痰が悪さをして、肺炎を起こし始めました。
少し熱もでて、
見えない物が見えたり聞こえたりするようになりました。
先生いわく『せん妄』というストレスなどが関係して起こる一時的な症状らしいです。
父は周りに魚が泳いでるのが見えるらしく、目でゆらゆら追っていました。

その、せん妄も2日位で落ち着きました。

その後少しずつ回復して、入院から約2週間。
耳鼻科のある病院に転院し気管切開手術を受けれる事になりました。

無事に切開手術を終え、手術10日後にはICUから一般病棟に。

口からの挿管がとれ、だいぶ楽になったようでした。
色んな病気で気管切開手術になる方はいますが、
父の場合は狭くなった気道の確保が目的。
場合によっては切開後も会話が出来るまでになる事もあるみたいですが、
父の場合はもう話せないみたいです。

元々話すことが大好きな父にとっては本当に辛いことだと思います。

この病気になり、
大好きな仕事を諦め。
大好きな車の運転を諦め。
そして大好きな話すことまで諦めなくてはいけなくなりました。


そんな父の姿をみて、
急変した時、ただただ命だけは助かって欲しいと願ってましたが、
あの時全然苦しくなかったという話を聞いて、
父自身にしてみれば、あのまま目が覚めない方が幸せだったのかな?…とすら考えてしまう自分がいます。

きっとこれから先もっと色んな事を諦めながら病気は進行していくかもしれない。

また歩けるかもわからない。
今の時点では自分で寝返りもうてないくらい力が入らない。

気管切開後の自分がみたいと言われ、携帯のカメラで撮りみせました。
その写真を見つめる父の顔はなんとも言えない表情でした。
頭ではきっとわかっている。でも気持ちがまだ追い付いてはいないでしょう。

私に出来ることは
お見舞いに言って冗談いって笑わせるだけ。
父が以前と変わらない笑顔をみせてくれるだけですごく嬉しくなります。

笑うって本当偉大だなって思います。


多系統萎縮症
父が診断されるまで私は聞いたことがありませんでした。

調べると難しい言葉がならび理解するのは難しかったです。
同じ病気の方のブログも色々みました。
進行具合は様々で、それでも病気の事を知るのには一番わかりやすく、
父もこんな気持ちなのだろうか?とかやっぱりなった人にしかわからない辛さだったり思いだったり。

私の様に病気を少しでも知りたい。と調べる方の目に止まればと今回書き留めてみました。


父はこれから、
口から食べものがまた食べれる様になるか、これも様子を見ながら少しずつリハビリをする予定です。
食べることも大好きな父。
どうか少しでも食べる事が出きるようになります様に…。