子育て
BBCのホームページでちょっとした話題になっているお話。
http://newsforums.bbc.co.uk/nol/thread.jspa?forumID=5885&edition=1&ttl=20090108234154
彼女はフランスでは日本での司法官にあたるのだが、女の子を出産して1週間もたたないうちに仕事場に復帰した話。
私からしてみればこれはないだろうっと思っているのだが、世界中から寄せられているコメントの中では彼女が復帰したことに対して圧倒的に支持率が高いのにちょっとびっくりしたのである。特に女性からの支持率が多い。
子供が欲しくて妊娠して、出産したのならばなぜ仕事をやめて子供の面倒をみないのか、私にはわからない。
欧米や、アメリカでは女性が早く仕事に復帰するようにプレッシャーがあるが、なぜこんなことになったのだろう。
これらの女性にとって普通の家族を持つのがつまらなくなったのかな?学歴+お金+仕事+家庭がないと幸せになれないって思ってしまうのかな?
私だって大学も出たし、仕事もしたし、結婚をして子供も授かったけど、これが全て同時に揃っていないといけないとは思わない。人間として成長するにはそれぞれの体験がとても大事だってことはわかっているけど、やっぱり人間の自然の成長では子供を産んだら子育てに専念するべきではないのでは?
仕事をする事に対しては反対ではないけど、自己満足のために子育てを放棄するのは間違っていると思う。特に子供は小さいときには一番母親が必要だしね。
反抗期?
私にはあるべき時期に反抗期ってものがなかった。
理由は家族の一人として、子供として、妹として、一人の人間として愛されているって自信がなかったから。
その中で生き残るためには、親に従い、社会に従い、何かが間違っているって感じながら、幸せではない日々を送っていました。
それなりの大人になり、学校も出て、社会人になって、妻になって母親にもなりました。
結婚して、子供も出来て、きれいな家に住んでも幸せになれない自分がいました。子供が生まれてから1年経って結婚が崩れ始めてどうにかして修復しようと2年間本を読んだり、自分の考え方、行動を見直して、今やっと幸せをつかみました。
今何を反抗してるかって言うと、それは自分に子供が出来てから、特に女性は子供の幸せを一番に考えてしまうってことに気づいたからである。状況がなんとでもあれ子供が一番なのだ。子供が幸せになるには自分が幸せでなければならないのである。
私の母は私は自分の全て子供にささげているっていつも口に出していた。本当に私は全てをもらっていた。いつも機嫌が悪く、短期で、暴力的で、父親の文句を子供に言うは、教育は学校、教会任せであるは、主婦としての誇りはまったくないは、女性としての自覚誇りもないは、それでも自分はいい母親だと思っていたらしい。浮気もしていただろうしね。
彼女の言い訳は余裕がなかったからである。確かにブラジルに住んでいて、ろくに仕事もしないで酒ばっかり飲んでいる夫がいれば苦しいであろう。それは子供でもわかる、そして大人になって貧乏であったからクリスマスにプレゼントももらえなかったり、友達がおもちゃをいっぱい持っていて自分が持っていなかったことや、ちょっとしたお菓子ももらえなかったこともわかるのである。でもこれは問題ないのである、貧乏であったから仕方ないことなのだ。
ただしその中で、一日5分でも、例えば寝る前にちょっとお話をしたり、遊んだり出来なかったのであろうか?一緒にテレビを見て笑えなかったのであろうか?一緒に絵などを書いたり、絵本を読んだりすることが出来なかったのであろうか?彼女に余裕がなかったのは、一日の半分を家事などをこなして、もう半分を父を憎んで過ごしたからである。
苦しい状況の中でもうちらは住む家があった、学校も家から近く公立であったのでお金はそんなかからない。食べ物に困れば親戚や友達に助けを求むことが出来た。
これ全部書いた後にでも母はそんな悪い母親ではないっていえるかもしれない。私が14歳の時に家族で日本にうつってからそれなりのお金を教育にかけて、大学にもいかせてもらった。そして子供のときに風邪を引いたときに看病もしてもらった。But I don't buy it! 悪いかいいかどっちかなのである。これらに対して中間はないのだ。失敗はしてもいい、でも失敗から学んでよくならなければ意味がないのである。子供は親、特に母親を手本として成長するのである。
子供は怒鳴られて、傷ついても、その後に優しく接してくれればいいのだ。そして同じことを繰り返さないでいればいいのだ。
成長する時間は十分彼女に与えられた。機会もいっぱい与えられた、でも彼女はいつまでも自分が被害者であるって信じていたので(自分自身母親に愛されなかった、結婚、子供、悪い夫によって縛られた人生)、ほかの人が助けてくれるのを待った。自分が守らなければいけない子供にでさえも助けを求めてきたのだ。
今起きている私の反抗期は親とあんまり話したくないってことである。母は今やっと余裕が出来たから、家族として仲良くしたいって気持ちがある。私は一人の大人として、彼女と話したくないのだ。同じ母親として彼女を許せないのだ。子供にとって母親は神様みたいな存在なのである。母親の言葉がいつも絶対で、母親に愛されたいって気持ちでいっぱいなのである。
衣、食、住、学費、旅行、お金、などを与えてもらうと頭の中では愛されているって解析をしてしまうけど、愛情、優しい言葉、スキンシップ、何があっても批判しないで話を聞いてくれる人、なにか成し遂げたときに目を輝かせて喜んでくれる母親を見なければ心まで伝わってこないのである。子供にはガイダンスが必要なのである。何もわからないで生まれてきて、全てが初めてで、不安いっぱいで、好奇心いっぱいで、信じられるのは母親だけなのである。その信頼関係を彼女は自分の事しか考えられないためにつぶしてしまったのだ。
今の私は自分に誇りを持っている。自分の子供に7回ぐらい手を上げたことはあるが、その時に自分が最悪な人間ってかんじたのででよく覚えている(おむつの上からたたいていたので、痛みはあんまり感じなかったとは思うが、手をあげた瞬間に後悔しました。彼女は何がおきているかわからないのでケロっとしていたがね)。でもこの2年間は一回も手を上げていない。(娘は3歳2ヶ月)。二人でいつも一緒に遊んで、笑ったり、いつも笑顔で迎えるようにしている。
結婚生活はうまくいっていないが、だからって娘に八つ当たりしたりはしないし、夫の悪口も言う気もない。悪く言うこともないしね。
私は自分の事を被害者だと思っていない、征服者だと思っている。そしてこうなるまでに力を与えられたことに感謝をしている。親に感謝しているわけではない、これは私が一人の大人として選んで進んだ道なのである。子供時代につらい思いをしても、うつ病に2回かかったことがあっても、離婚危機にあっても私は今幸せである、そして何よりも自分が大好きなのである。
親の毒から離れて、自分の母親みたいな人生を歩まなくてもいい、家族だからって愛さなければいけないって言われてもそれは無理なのである。自分が一番に愛さなければいけない子供を何回も傷つけて、そして何もなかったかのように愛されるって思うのは間違えなのである。私は特に憎しみ深いってわけでもないし、昔の事をねちねち言うような人でもない。でも母親に対してだけは許せない気持ちがある。そしてそれは自分が母親になってからやっと探し出した答えなのだ。
これが私の反抗期なのである。
母に対してはこれきりにもう書きたくないです。考えれば、考えるほどいやな気持ちになるので。そして今の私はポジティブなことしか考えていないので。
