自分らしくあることってのは、難しい。
素直に生きているようでも、実際はそうではなく、どこかでムリをしたり、我慢したりして生きてしまうことがある。
僕は、助けられなと生きられないタイプの人間だ。
だけど、男だから、長男だから、夫だからと、強がったり、見栄を張ってしまう。
そう思ってやっているわけではなく、無意識にカッコ付けてしまうのだ。
これもある意味洗脳なのだろう。
男だからどうあるべきだとか、長男だからかくあるべしとか、夫だからこうしろとか、これは乱暴な考え方だ。
僕たちは肩書き通りの枠に収まれるほど狭い世界で生きていない。
これだけ情報が溢れてしまっている世界で、肩書の枠になど収まりきるはずがない。
だから、多様性なんて言葉が流行っているのだろう。
多様性って言葉もなんだか都合の良い解釈をされてるから、あんまり好きではない言葉だけど、ようは個人であることを主張しているってことなんだと思っている。
男、長男、夫って枠とかよりも、個人であることを自覚することが重要なのだ。
個人だから、枠は一人ひとり異なる。
これを多様性って言葉で表しているのではないだろうか?
だから、「自分が何者か?」なんてことを考える人がいるけれど、もはやそれは無意味なのではないか?
生まれた瞬間から、名を与えらた瞬間から、あなたはあなた以外の何者でもない。
空想や想像じゃない現実では自分以外の誰かになれるはずなどない。
僕はPomaでしかない。
Pomaってのはハンドルネームだから、本名ではないけれど、僕個人の枠を超えてPomaが独り歩きすることはないし、したとしたら、それはムリをしているってことだ。
カッコつけるってのは、ムリをしてるってことだ。
このムリを無理なくやめることがしたい。
これは心の問題だから、日々の積み重ね、意図的にそうしていくしかない。
無意識にしている自分の言動に対して、「これはオレか?」と投げかけ意識していくことでしか、やめることはできない。
等身大の自分ってのは、手の届く範囲のことしかできないし、今ある現実こそが自分だ。
だけど、現実の自分よりも自分を大きく見せたいし、自分でも大きく見えておきたい。
その虚栄心が現実も未来も歪めてしまう。
自分以外の何者にもなれないのに、それ以上を求めてしまう。
それは、誰かの求める自分になろうとしていたり、誰かに認められる自分であろうとするからだ。
違う。
嘘なく、見栄なく、手の届く範囲のものごとだけが実現できる、それだけの自分で立派だ。
そんな自分が弱いとさえ思うのは、高望みしているからだ。
弱いんじゃない。
それが僕なのだ。
現実の自分を受け入れること、これが自分らしくあれるための方法だ。
ひとつひとつ、現実の自分を自覚していく作業をすることで、僕はもっと自分を知ることができる。
背伸びもせず、カッコつけず、僕でしかないことを認め続ける。
求めているものよりも劣る自分を受け入れることは、ツラいかも知れない。
でも、ムリしてるほうがシンドい。
僕は自分で思ってるよりはるかにちっぽけだ。
でも、きっとそんなちっぽけな僕こそを愛してくれる人がいる。
だから、今日から僕はちっぽけな僕で良い。
自分に何ができるか?なんて理想を考えるのはやめて、自分にできることは何か?と現実を知っていこう。
