2024年7月中旬。

術後病理検査の結果を聞きに、X病院へ行く。

 

漿液腫はもうほとんど溜まらなくなった。

前鋸筋のあたりが全体的に内出血みたいな赤紫色で、

見た目は痛々しいけど、実際は全然痛くないし、

治っていってるのが分かる。

もう穿刺する必要は無くなった。

 

「今日は結果の説明がありますけど・・・」と先生。

あーいよいよだぁ。なんか緊張。

大丈夫。覚悟はできてる。

pCRじゃなかったら、経口抗癌剤頑張ればいいんだから。

ポジティブに対応すればいい。できることを全てやればいい。

 

「まず右ね。癌の遺残はありませんでした、ってことで、

リンパも11個取ったけど、生きてる癌細胞はありませんでした、

ってことなんで、・・・pCR!」

 

えええ~!?まさかの10%に入れちゃったー!!

「あはははは!やったぁ~!!」

何か笑いが止まらないよー!笑

 

「良かったねぇ!」と先生。

左側も、癌細胞らしいものは残ってないのだそう。

非浸潤癌なので、残っていても問題は無かったけど、

抗癌剤が効いたのかどうか分からないけど、とのこと。

おおお、左ブレースト!

ddAC一発で20年来続いてた分泌液がピタリと止まって以来、

ウンともスンとも言わなくなったと思ってたら、

そんなことになっていたとはっ!

・・・しばらく存在忘れてたわ、笑。

ルミナルAみたいな特徴の非浸潤癌(異型乳管)だったのに、

抗癌剤が効いたのなら、ある意味こっちの方が奇跡的かも。

 

「すごーい!肝心なとこで、すごい良いの引いた!笑」

笑いが止まらないまま、夫に言う。

「うん・・・良かった・・・」

・・・泣き声の夫、笑。

「頑張って良かったね!途中、一瞬挫けそうになったけど」

と先生。やっぱヘタレ癌患者認定済、笑。

 

pCRだったので、術後はホルモン療法だけだ。

どこか近くのクリニックで薬を出してもらって、と先生。

「どこかある?」

う~ん・・・。

Z乳腺科には長らくお世話になったけど、左胸の石灰化を

見落とされたのかな、という気持ちがあって、何だかもう

行く気になれない。

他に良い病院も分からないし、そもそも片田舎の住まいで、

乳腺クリニック自体少ない。

一旦電車に乗ってしまえば、交通費は高くなるけど

面倒さは都内まで出てもそんなに変わらない。

残念ながら資本の論理は医療の世界にも厳然とある。

都内の方が沢山病院があり、良い病院を選ぶことができる。

となれば、先生に単刀直入に聞くのが良い。

 

「あの、どこか都内の良い病院を紹介していただきたい

んですが」

「良い病院たって・・・来なきゃいけないんだよ?」

「あの・・・もう、地元の病院は、イヤです!!」

あーなんか、Y病院でのゴタゴタを一気に思い出しちゃった、笑。

3か月に1回通うのは問題ないのかと先生。

「いいです!」

「そしたら、ここに来たら」

と先生が紹介してくれたのは、先生自身が月2回診療を

担当している都内のV乳腺科。

家が近くの人には紹介してるけど、本当に来るの?

一番遠くから来る人だなぁ、と先生呆れ顔で笑う。

毎週なら考えるけど、3カ月に1回なら安心感の方が大事!

それに主治医に経過観察してもらえるなんて、鬼に金棒だ。

来週からホルモン療法を始めることになる。

 

「これ記念にあげるね」と先生、病理検査結果の用紙を

渡してくれる。

左右ともmargin(-)、断端陰性だ。

>術前化学療法の組織学的治療効果は、

>Grade3(pCR: non-inv, non-DCIS)である。

病理所見にはっきりと書かれた“pCR”の文言。

・・・ああ、やったよ、私。

本当にpCRできちゃった。

 

「良かったぁ・・・もう、一生運悪くてもいいや、笑」

「いやいや笑、そりゃ困る笑」

ついまた悪い思考習慣が頭をもたげそうになったら、

先生即座に否定、笑。

そうだ、もうこれからはきっと、良いことしか起こらない。

 

「泣かないのー、笑」

壊れたレコードのように「良かった・・・良かった・・・」

と繰り返し、泣き続けている夫を促して、立ち上がる。

本当に、X病院で治療を受けることができて良かったな、と思う。

診察室を出て、待合の椅子に腰掛ける。

 

通院治療センターでお世話になったKさんを見かける。

お年寄りを乳腺科の外来に案内して、優しそうに声掛けをして、

慌ただしく通院治療センターに戻っていく。

ほんとに先生も看護師さんも素敵な方ばかりだなー。

やっぱX病院、最強!!