もうあと数日で、令和ですね。

 

せっかくの新時代、清々しく迎えようと、家をいつもより念入りに掃除していて
ふと…思い出し笑いしました。

 

母親がよく言っていた事。

『お父さんの家は汚くて、家政婦さんが本当に可哀想だった。』

 

当時…

父親、自営業。

朝9時に家を出て夜9時に帰る。

休みは2週間に一度。

母親、専業主婦。

 

当時はよく分からないまま母親の肩を持っていたけど、今なら思う。

お前がやるんだよ!

 

家政婦さんに、ありがたい…と感謝するでも、申し訳ない…と思うでもなく、

家政婦さんが可哀想…って他人事なのが、凄いでしょう?

 

自分が母親になって、家庭生活を営んでいて、当たり前の家事をしている中で

何か、不当に苦労をさせられているような、理不尽な気持ちになる事があって

思えば、母親が何か頑張っているところって見た事がなくて

やっぱり無意識に、基準って親の背中なんだと思い知る。

 

「家族」というのは、人間が生まれて最初に見る最小単位の「社会」だと言います。

子供達のためにも、私はしっかりしないとな、と思う。

思う反面、なんで私が…という気持ちもあって、それがなかなか根深いのです。

 

私の中にある愛の定義が、歪んでいるな、と気付いたのも最近の事。

相手のために自分を犠牲にする事。愛があれば耐えられるよね、っていう…。

苦痛に身を焦がされても相手を求め続ける事、それが愛のような気がしていた。

青臭い表現をあえてすれば、「愛の試練」というやつ。

本当は、愛に苦痛なんて必要ない。苦痛を取り除き合うのが愛なんだ。

 

平成最後に、色々と思う事は多い。私の生まれた平成という時代。

平成を振り返るという事は、自分の前半生を振り返るという事でもあって

自分を見つめ直してみると、ずっと割り切れずにいる思いとか、

深いところに抱えてきた寂しさとか恨みとか、自分でも驚くほどあって

それなのに、全て納得しているような顔をして、今まで過ごしてきたんだなって。

誰よりも自分を欺いてきたんだね。

 

(真実の口。嘘つきが手を入れたら、抜けなくなるんだって。本当かな?)

 

自分を欺くという事は、そんな自分に関わる全ての人をも欺くという事だもの。

 

そういうの全部、この機会に一掃出来れば良い。

自己との対話ってやつ?

もはや自己との喧嘩になりつつあるけど。

 

過去に縛られていても意味はない。

過去なんて記憶でしかなくて、本当にあったかどうかも分からない。

忘れてしまえばもう存在しない。もはや妄想。

妄想を生きても仕方ないだろう。

それは、今を全力で生きようとしている全身の細胞達にも不誠実な事。命への冒涜だ。

私達が確かに生きているのは今、この瞬間だけ。

 

くだらないもの全部、平成に置いて行けたら良い。

新時代に、生き直せたら良い。

 

平成は、終わる!

時代は、変わる!

執着は、捨てる!

全力で、生きる!

 

なーんて、長々と自分語り失礼。

あ、いつもか!テヘペロ。

 

ここまで読んだ人なんているのかな?

アンタも暇ねぇ。

こんなとこ読んでいないで、自己との対話してみなよ。

死にたくなるまで、とことんやるんだよ。

そしたらきっと、新時代に生き直せるよ。

 

知らんけど。

 

あは。

 

 

 

いづ