10月 1日はどんな日でしょうか。
受験日本史に関わる出来事をチラ見してみましょう。
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1.誕生日おめでとう篇
****年:
今日、誕生日を迎える人物で、受験日本史に関わりがありそうな方が見当たらなかったので、この項はお休みします。
この項は、wikiにある誕生日情報に基づき、日本人または日本に関わりのあった外国人で教科書・受験参考書・日本史小辞典に記載があれば、それを記事に使うのです。見当たらなかった…というのは、wikiに表示された人物が上記の参考資料に出ていなかった、という事です。
2.お悔やみ篇
1600年:安土桃山時代のキリシタン大名、小西行長(こにしゆきなが)。満42(41かも)歳没。(旧暦)
wikiに上げられている画像へのリンクです。→<a href="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ae/Konishi_Yukinaga.jpg
" title="小西行長" target="_blank">小西行長</a>
出来事編の石田三成の記事にも登場し、1600(慶長 5)年の今日、斬首刑にされた小西行長です。
初めは宇喜多氏の配下であった小西行長は、後に豊臣秀吉に仕えました。九州征討い従い、肥後国宇土14万石の大名となりました。
キリシタン大名としても有名で、協会の保護者でもあった小西行長の洗礼名はアゴスチィノ(アウグスティヌス)です。その行長のキリスト者らしい逸話がwikiにあったので以下に引用します。
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10月1日に市中引き回しの後六条河原において三成・安国寺恵瓊と共に斬首された。その際行長はキリシタンゆえに浄土門の僧侶によって頭上に経文を置かれることを拒絶。ポルトガル王妃から贈られたキリストとマリアのイコンを掲げて三度頭上に戴いた後首を打たれたと伝えられる。処刑後、首は徳川方によって三条大橋に晒された。死に臨んで告悔の秘蹟を同じキリシタンであった黒田長政に依頼したが家康の命もあって断られ、処刑当日も司祭が秘蹟を行おうとしたが接近できず受けることができなかった。遺体は改めて秘蹟を受けた上で絹の衣で包まれ、カトリックの方式で葬られた。教皇クレメンス8世は行長の死を惜しんだと言われる。
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3.出来事篇
今回、ご紹介するのは、
1600年10月 1日:石田三成が、処刑されました。(旧暦)
という出来事です。
9月15日の関が原の戦いのあと、西軍の石田三成らは逃亡していました。
小西行長は逃亡後、伊吹山の近くの村の庄屋に出向き、姓名を名乗って徳川家康のもとへ連れて行く様に農民たちに命じました。
また、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)は、京都の東本願寺の僧坊に隠れていましたが、密告者があり捕らえれれました。
そして、石田三成は、伊吹山の山中をさまよった挙句、村人に正体がバレてしまったため自首しました。
1600(慶長 5)年の今日、この三人は首枷をはめられて、京都市中を引き回され、多くの見物人に囲まれて、六条河原で首を斬られました。その首は、三条大橋のたもとにさらされたのです。
石田三成は、処刑の間際に水を所望しましたが、警護の者に「干し柿ならある」と言われたそうです。それに対し石田三成は、
「柿は痰の毒であるのでいらない」
と断りました。
警護の者は、今殺されようとする者が体を用心するのは無意味である、というと三成は
「大義を思う者は、最期の瞬間まで命を惜しんで、本望を達しようとするものだ」
と答えたと言われています。
誠に天晴な心持ちであると思います。
wikiに上げられている画像へのリンクです。→<a href="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/80/Ishida_Mitsunari.jpg " title="石田三成" target="_blank">石田三成</a>
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【編集後記】
決算処理が終わったので、お久しぶりの日本史大歳時記です。
今日は見事の武将が二人登場します。
石田三成の見事な様子がwikiにも書かれているので、追加でご紹介します。
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家康がやはり処刑前の三成に会った際、「このように戦に敗れることは、古今良くあることで少しも恥では無い」といった。家康も「三成はさすがに大将の道を知るものだ。平宗盛などとは大いに異なる」と嘆じた(『常山紀談』)。
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